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礼拝説教
主日礼拝の説教を公開しております


神の謙卑(へりくだり)
2026年6月21日主日礼拝説教 山本 精一 聖書 詩編第18 編5~7 節、36~37 節 5 死の縄がからみつき 奈落の激流がわたしをおののかせ 6 陰府の縄がめぐり 死の網が仕掛けられている。 7 苦難の中から主を呼び求め わたしの神に向かって叫ぶと その声は神殿に響き 叫びは御前に至り、御耳に届く。 36 あなたは救いの盾をわたしに授け 右の御手で支えてくださる。 あなたは、自ら降り わたしを強い者としてくださる。 37 わたしの足は大きく踏み出し くるぶしはよろめくことがない。 テトスへの手紙第3 章4~7 節 しかし、わたしたちの救い主である神の慈しみと、人間に対する愛とが現れたときに、神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どお
9月26日


天に我らの宿る家があり 木村 一雄
2026年6月14日主日礼拝説教 木村 一雄 聖書 ヨハネによる福音書第14 章1~8 節 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間
9月26日


霊は生かし,霊は呻く
2026 年5 月24 日ペンテコステ礼拝説教 山本 精一 聖書 詩編第130 編1~2 節 深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。 主よ、この声を聞き取ってください。 嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。 コリントの信徒への手紙II 第3 章4~6 節 わたしたちは、キリストによってこのような確信を神の前に抱いています。もちろん、独 りで何かできるなどと思う資格が、自分にあるということではありません。わたしたちの資 格は神から与えられたものです。神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではな く霊に使える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。 ローマの信徒への手紙第8 章22~26 節 被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。被造物だけでなく、“霊” の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は
8月28日


砕かれた心
2026 年5 月10 日主日礼拝説教 下村 喜八 聖書詩編第51 編7~19 節 わたしは咎のうちに産み落とされ 母がわたしを身ごもったときも わたしは罪のうちにあったのです。 あなたは秘儀ではなくまことを望み 秘術を排して知恵を悟らせてくださいます。 ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください わたしが清くなるように。 わたしを洗ってください 雪よりも白くなるように。 喜び祝う声を聞かせてください あなたによって砕かれたこの骨が喜び躍るように。 わたしの罪に御顔を向けず 咎をことごとくぬぐってください。 神よ、わたしの内に清い心を創造し 新しく確かな霊を授けてください。 御前からわたしを退けず あなたの聖なる霊を取り上げないでください。 御救いの喜びを再びわたしに味わわせ 自由の霊によって支えてください。 わたしはあなたの道を教えます あなたに背いている者に 罪人が御もとに立ち帰るように。 神よ、わたしの救いの神よ 流血の災いからわたしを救い出してください。 恵みの御業をこの舌は喜び歌います。 主よ、わたしの唇を開いてください
8月18日


十字架の言葉
2026 年 4 月 19 日 主日礼拝説教 山本 精一 聖書 コリントの信徒への手紙 一 第 1 章 18~25 節 十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。 それは、こう書いてあるからです。 「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、 賢い者の賢さを意味のないものにする。」 知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。 世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、 わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
7月14日


十字架と復活
2026 年 4 月 5 日 イースター礼拝説教 山本 精一 聖書 ローマの信徒への手紙 第 4 章 24b~25 節 わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。 ローマの信徒への手紙 第 5 章 8 節 しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。 二月半ばから始まった本年の受難節(レント)の時期、この講壇では、ヨハネによる福音書中に書き記されているイエスの告別説教を二回にわたって見て参りました。その告別説教の中でイエスは、驚くべきことに、 「今、世を去って、父のもとに行く。」 (ヨハネ福音書 16:28) という言葉を語っていました。そこでは、われわれが通常「世を去って」と言う場合とは根本的に異なった事が語られています。というのも、それは、われわれにははかり知れない、いやそれどころかわれわれの想像を絶した言葉、
7月14日


ゲッセマネの祈り
2026年3月29日 主日礼拝説教 飯島 信 聖書 マルコによる福音書 第 14 章 32~42 節 一同がゲツセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。 そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、 彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」 少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、 こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」 それから、戻って御覧になると、弟子たちは眠っていたので、ペトロに言われた。「シモン、眠っているのか。わずか一時も目を覚ましていられなかったのか。 誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」 更に、向こうへ行って、同じ言葉で祈られた。 再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた
6月26日
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