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神の約束

  • admin_ksk
  • 4月29日
  • 読了時間: 15分

2025年2月16日主日礼拝説教 飯島 信


聖書

イザヤ書 第42章1~4節

見よ、わたしの僕、わたしが支える者を

わたしが選び、喜び迎える者を。

彼の上にわたしの霊は置かれ

彼は国々の裁きを導き出す。

彼は叫ばす、呼ばわらず、声を巷に響かせない。

傷ついた葦を折ることなく

暗くなってゆく灯心を消すことなく

裁きを導き出して、確かなものとする。

暗くなることも、傷つき果てることもない。

この地に裁きを置くときまでは。

島々は彼の教えを待ち望む。


ルカによる福音書第23章32節~43節

 ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。

 十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。


 お早うございます。

 気が付けば、一月も終わり、二月も半ばを迎えています。昨日の京都は暖かく、冬も過ぎ去ったかの感すら覚えました。これから又寒波が訪れると言うことですが、季節は確かに春に向かっているのだと思います。

 今日は、旧約から一つ、新約から一つと、二つの聖書箇所を取り上げます。今司式者に読んでいただきましたが、旧約は第二イザヤの預言の始めの部分であり、新約はイエス様の十字架上の出来事です。一見何の関わりもないそれぞれの箇所のように思いますが、しかし、神の約束と言う見地から読み直す時、イザヤとルカが生きた数百年の時代の違いを越え、それどころか、イザヤ、ルカの生きた時代と今を生きる私たちとの数千年の時の隔たりを越え、迫り来るものがあるのです。それはイザヤ書の「傷ついた葦を折ることなく 暗くなってゆく灯心を消すことなく」との神の約束、「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」との約束です。

 私にとって「神の約束」とは、国内外において闇と混迷を極めるこの時代にあって、明日に向かって顔を上げ、足取りを確かに自らの歩みを踏み固める唯一の道標(みちしるべ)です。以前紹介したDietrich Bonhoeffer(ディートリヒ・ボンヘッファー)の言葉で、


神が成就し給うのは、僕たちのあらゆる希望ではなくて、神ご自身のあらゆる約束である。すなわち、神は、地上の主であられ、その教会を保たれ、僕たちに常に新しい信仰を送り給い、僕たちの耐えられる限度を越えた重荷を負わせ給わず、僕たちを神の臨在と助けとを喜ぶ者とならしめ、僕たちの祈りを聞き、僕たちを最善にして真直ぐな道によってご自身へと導き給うのである。


と言う言葉がありました。確かに、私たちには、それぞれが抱く願いがあります。世界平和のこと、自分や家族の健康のこと、友が負っている課題のこと、仕事のこと、教会のこと、関わっている活動のことなど、こうなって欲しい、ああなって欲しい、それぞれが、より豊かな実りあるものとなって欲しいとの願いがあります。しかし、神が成就されるのは、私たちの願いではなく、神ご自身が私たち一人ひとりに約束されていることだと言うのです。私たちの祈りが意味が無い、虚しいと言うのではありません。その祈りの根底に、神の約束を信じるか否かの信仰が問われている、つまり、私たちの祈りは、神が私たちになされている約束を信じる信仰が前提とされなければならないと言うのです。その約束とは、私たちを「最善にして真直ぐな道によってご自身へと導」かれ、「ご自身を讃美

せしめ給う」と言う約束です。


 私は、この事と関連して、昨年の12月から先週までに起きた小高伝道所、浪江伝道所の出来事から、122年の歴史を迎える小高伝道所に対する神様の約束とは何か、97年の歴史を迎える浪江伝道所に対する神様の約束とは何か、それを信じるとはどのようなことかについて考えてみたいと思います。

 初めに、先週の小高伝道所で経験したことです。

 礼拝の前日の土曜日、ただ一人の教会員である方から電話がありました。いわきで避難生活を送られている80代のS さんからで、礼拝への欠席の連絡でした。小高伝道所での私の願いは、礼拝の灯を消すことが無いことです。S さんは、震災翌年の2012年から、避難指示が出て立ち入ることが出来なかった伝道所に、特別の許可を得て、年に一度だけ数名で集まり、クリスマス礼拝を守り続けて来られました。その礼拝は2018年まで7年続き、8年目の2019年からは毎月1度行われるようになり、その3年後の2022年の私の招聘に至ります。

 もしSさんが小高伝道所に留まっておられなかったら、小高伝道所の教会員は一人もいないことになり、浪江と同じように閉鎖され、私の招聘はありませんでした。ですから、私にとってSさんの存在は、礼拝を守り続ける意味でもとても大切なものでした。いつも、礼拝が行われる週に、いわきから夫の運転する車で1時間半近くかけて見え、お花を用意して下さる方でした。そのSさんから欠席の連絡があった時、その時の礼拝は奏楽をして下さる方が与えられていたので、奏楽者と二人の礼拝になると思いました。

 共助会を創設した森明は、大磯で療養をしている時、森と、母親の岩倉寛子と、手伝いの婦人と3人で礼拝を守ったとの記述が彼の「涛声に和して」と言う文章にあります。


私はこの地に来てから、また10年前の中渋谷伝道の頃を日曜ごとに想起する。今日もまた手伝いの婦人と母と自分と三人、10時から礼拝を行った。一生懸命、説教した。実に相手をよく知っているだけ、真剣に話すことができて、少しは心に満たされた。皆で主に近くなりたいと、ただひたすら、主の御同情を祈り求めている。集会は1時間余を費やしておわった。 (『森明著作集』第二版、25頁)


確かに、たとえ一人であっても礼拝の真実さは変わりません。しかし、1人より2人、2人より3人であれば、霊的な交わりがより豊かな礼拝になることも事実です。

 さて日曜日を迎えました。10時を過ぎ、いつものように教会の前に立ちました。すると、車が停まり、中から親子4人が降りて教会に入って行ったのです。奏楽者と二人の礼拝のはずでしたが、これで6人、さらに礼拝が始まってから1名が訪れ、7名の礼拝となりました。大人5名と小学生が2名です。礼拝後は、いつも食事を用意するようにしていて、Sさんと私が交替で準備するのですが、その時は私の番で、用意したアサリの炊き込みご飯を皆で食べ、豊かな時が与えられました。

 二人のはずの礼拝が7 名となる。


傷ついた葦を折ることなく

消えかけている灯心を消すことのない。


との神様の約束の御言葉が響くのです。礼拝そのものにおいて、霊と真との礼拝が捧げられる限り、灯火(ともしび)は消え去ることはありません。ただその灯火がより明るく輝くのは、2人又は3人による霊的な交わりの真実においてです。

 交わりの真実・・・・・・。それは、どのようなことでしょうか?

 かつて奥田先生は、聖餐式について語っておられました。「熱河宣教に赴く沢崎堅造君の送別礼拝の時の聖餐式ほど厳粛なものはなかった」と。礼拝に集う自他が、神を中心とし、その上でかけがえのない存在として覚え合う交わりにおいてこそ、灯火の輝きはより明るく強くなるのです。小高伝道所において、礼拝に出席する一人、それは単なる数としての一人ではありません。共に神を礼拝し、霊的な交わりを豊かにするかけがえのない一人です。その一人の存在によって、礼拝の灯火の輝きがどれほど増し加わることでしょうか。来られなかった教会員のSさんに代わって、神様は霊的な交わりをより豊かにして下さいました。それだけではありません。昨年のクリスマス礼拝から、移住して来た青年が一人礼拝に出席するようになりました。遅れて来た青年ですが、彼を通して改めて知らさ

れています。この小高の街には、福音の訪れを待っている若者たちが決して少なくないことをです。

 私は、礼拝の出席者が多くなったから良かったと言っているのではありません。小高伝道所の礼拝、そこには尽きることのない課題とともに、神の慰めと励ましが与えられ続けていることを皆様と分かち合いたいと思いました。

 次に、浪江伝道所で経験したことです。

 放射能に侵された浪江の地は傷ついたままです。一四年を経てもなお浪江町の八割が今も帰還困難区域で、駅や役場のある一部の地域を除く多くの場所が、今も人が住むことが出来ません。そのような中でも、私たちの伝道所の周囲は除染が終わり、線量も高くなく、心配はありません。ただ、生活するのに必要なインフラの整備が進まない中、帰還する人は見当たらず、周囲は荒涼とした空き地が広がる現実が続いています。赴任した当初、何度もお話ししたように、教会員が一人もいない中、礼拝は私一人であることを覚悟していました。しかし、2022年、2023年と、午後3時の時間になると誰かしらが訪れ、私1人で守る礼拝はほとんどありませんでした。それどころか、クリスマスには20人近い人々が集まることが出来たのです。

 さて、3年目となる昨年9月のことでした。それまで月に1度、第3主日に、仙台から車で1時間以上かけて礼拝を共に守って下さっていた他教派の牧師夫妻が、郡山の教会に招聘されて来れなくなり、その前後から礼拝は1 人で守ることが多くなりました。4月から10月まで15回あった礼拝の内、1人の時が4回ありました。そして、夫妻が郡山に去った時、いよいよ本格的に1 人の礼拝が始まるのだと、そう思いました。その通りに、

11月の第1 週の礼拝は1人でした。

 ところが、浪江の礼拝は奇数週なので、1週に続く第3週のことです。この日は4人の礼拝でしたが、新潟から来られたTさんが、礼拝の後で突然申し出られたのです。「先生、これから私は、月に1度、浪江伝道所の礼拝に出ます」と。全く思いもよらぬ申し出でした。牧師夫妻が郡山に去ったことなど彼は知る由もありません。にもかかわらず、浪江の礼拝のために新潟から泊りがけで来て、会堂の整備や、伝道所の敷地の草刈りなどを行いたいと言われたのです。

 さらに、驚くことが起こりました。ある方から洗礼を受けたいとの希望が告げられたのです。東京に住まわれている方でしたが、仕事は日曜日がメインで、キリスト教には長く触れつつも教会に行く機会はなく、あることがきっかけで私と再会したことにより、私の教会での洗礼を希望されたのです。その時から4回東京に行き、その方の職場で洗礼準備の学びの時を持ちました。学びを終えた後、その方がこちらに来られる日曜日は仕事の関係で第5週の12月29日しかなかったので、奇数週に礼拝を行っている浪江伝道所での洗礼式となりました。洗礼式は、その方と東京から来る彼の友人たち数名とで行う予定でしたが、喜びを分かち合おうと近隣の教会の牧師や信徒も集まり、二四名が参加した式となりました。浪江伝道所の記録によれば、2006年のクリスマス礼拝以来18年ぶりの洗礼式であり、離散して教会員ゼロとなった浪江伝道所に、新しく一人の信徒が与えられたのです。

 月に一度は礼拝に出席するとのT さんの申し出と言い、今回の洗礼式と言い、浪江伝道所に対する神様の約束を思うのです。浪江伝道所に私を招き、教会の扉を開かれた神様は、3年の時を待たずに1人の教会員を与え、揺るぎない土台を築き始めました。主イエス・キリストの主権のもとに、「傷ついた葦を折ることなく 暗くなってゆく灯心を消すことな」いためにです。


 そして、ルカによる福音書です。十字架上のイエス様と2人の犯罪人の間に起きた出来事を、ルカは次のように記します。この2 人がどのような罪を犯して死刑に処せられるの

かルカは記していません。ただ確かなことは、死刑になるほどの重罪を犯し、十字架に架けられたのです。39節から43節。


39十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」

40 すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。

41 我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」

42 そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。

43 するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。


 「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」。

 楽園とは神と共にある生活です。あなたは、今、この瞬間において、神と共にあると言うのです。

 人生の最期に、この罪人に一体何が起きたのでしょうか?

 彼に起きたこと、それは、自ら犯した罪を認めることに止まりませんでした。さらに、神に対し、赦しと憐れみを求めたことです。「あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と。

 この言葉は、あの放蕩息子の話しに出て来る放蕩の限りを尽くした弟の父親に対する言葉と重なります。「わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」との言葉です。雇い人と言うのは奴隷です。たとえ奴隷となっても、父に対して赦しと憐れみを乞うたのです。

 私たち全ての者の命には、神を知る霊性が宿っています。そして、神様は私たちに約束をして下さいます。私たちが、自ら人生の支配者となって行き詰まり、どれほど傷ついた葦のようになったとしても、あるいは又、神の愛から離れ、暗くなってゆく灯心のようになっていようとも、罪の赦しと神の憐れみを求める心がある限り、その葦を折ることなく、灯心を消すことはないと。

 私たちを「最善にして真直ぐな道によってご自身へと導(き)・・・・・・ご自身を讃美せし

め給う」と言う約束、罪の赦しと神の憐れみを求める心がある限り、その葦を折ることなく、灯心を消すことはないとの約束、この世をいかに深い闇が覆うとも、神のこの約束を信じて歩む者となりたいと思います。


 今日のメッセージの最後に、昨年11月29日にいただいた竹下八千代さんからのメールを、ご本人の許可を得て紹介したいと思います。メールは、八千代さんの友人であるI さんについての報告でした。このメールは、御言葉に生きるとはどのようなことかを、私に深く問いかけるものでした。

 私は、Iさんにお会いしたことはありません。しかし、I さんに深い関心を持ったのは、I さんは全盲だけでなく、耳も聞こえず、さらに言葉も発声出来ない三重の障がいをお持ちの方で、八千代さんから祈りに覚えて欲しいと言われていたからです。少し、補足を入れながら紹介します。


「本日、盲とろうのIさんのところに面会に行って来ました。(Iさんが心の病を患って)病院に居たころ、声も言葉も失い、これからどうなるのかと思ってしまいましたが、声を失くしたことで、すぐに特別養護老人ホームに移ることができ、また自宅に近くなり、『川西盲ろう者友の会』の人たちとも近くなり、彼女が今まで活動を共にしていた人たちが見舞ってくれたり、外に連れ出してくれたり、老人ホームの手厚い介護もあり、表情も和らぎ、笑顔も見せてのほぼ45分ほどの面会ができました。

 盲ろうの彼女にとっては、彼女の人差し指を持ってわたしが書く一時(ひととき)が外の世界との唯一の窓。わたしが彼女の指を持って書く一文字一文字の積み重ねが単語となり、文節となり、文章となってコミュニケーションが交わされて行きます。

 『ひともじひともじをゆっくりていねいによみとれていることをたしかめてからかいて』と、次々に文字を書こうとする私に言ってくれました。昔の彼女は推察力も高く、ドンドン書いても読み取れていましたが、今は一文字一文字を読み取って音を声に出し、その声をわたしは聞いて、わたしの書いた字が読み取れていることを確認してから文字を続けて書いていきました。その有様は、文字一字いかに大切か。

 必死で読み取ろうとする彼女の姿勢がわたしを熱くしました。このコミュニケーションをしながら、今回、彼女にとっての窓、彼女のこころとわたしを繋ぐのはこの一文字一文字の積み重ね。極端に言えば、一文字に尽きることを示され、彼女の住む世界を今まで以上に知らされた思いでした。

 わたしが『やちよ』と名のってから、彼女が口を開いたことは『いまのきせつは・・・?』と小さく訊いてきました。『ふゆ。』続けてまた『なんがつ?』『11がつ』と書きました。

 季節も、今が何年何月かもわからない生活をしていること。

『やちよはなんさい?』

『〇〇さい。』

『I もしょうわ〇〇ねん〇がつ〇〇にちにうまれた。〇〇さい。』

 自分自身のことを確かめたかったのだと思いました。今は、クリスマスの飾りつけがホームにはきれいに成されていますが、季節を訊いてきたと言うことは触らせてもらってもいないのでしょう。

 今年の夏に声を失くした彼女を知っているだけに、老人ホームに変わってからの彼女が自分を取り戻しつつあることを感じ、多くの方々に祈られておりますことを感じ、ここに報告と共に感謝を申しあげます。一ヵ月に1回、会うことを約束して帰って来ました。12月は23日午前11時、面会予定です。続けて祈りに覚えていただければ嬉しく思います。教会の皆様方にも感謝のほどをお伝え願えれば嬉しく思います。」


 心を打たれるメールでした。八千代さんは、I さんと面会をされるのに、ご自分の介助者と予定を調整し、介助者と共に電車を乗り継ぐだけでも多くの時間と労力を費やさなければなりません。面会するのに朝から出かけてほとんど1 日がかりと聞いています。しかし、それにもかかわらず、ご自分よりさらに重い障がいを持っている友人を訪ねます。

 「盲ろうの彼女にとっては、彼女の人差し指を持ってわたしが書く一時(ひととき)が外の世界との唯一の窓。わたしが彼女の指を持って書く一文字一文字の積み重ねが単語となり、文節となり、文章となってコミュニケーションが交わされて行く・・・・・・このコミュニケーションをしながら、今回、彼女にとっての窓、彼女のこころとわたしを繋ぐのはこの一文字一文字の積み重ね。極端に言えば、一文字に尽きることを示され、彼女の住む世界を今まで以上に知らされた思いでした」との言葉、そして「I さんの人差し指を持ってわたしが書く一時(ひととき)」の務めを負い、「このコミュニケーションをしながら、彼女にとっての窓、彼女のこころとわたしを繋ぐ」者となること、それは消えかかる灯心を消すことのない働きであるとも思いました。

 聖書は命ある書物です。聖書の御言葉は、私たちをその御言葉に生きる世界へと導き、押し出します。

祈りましょう。

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