傷ついた葦を折ることなく
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更新日:9月10日
2025年7月20日 主日礼拝説教 山本 精一
聖書イザヤ書第42 章1~4 節
見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。
わたしが選び、喜び迎える者を。
彼の上にわたしの霊は置かれ
彼は国々の裁きを導き出す。
彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。
傷ついた葦を折ることなく
暗くなってゆく灯心を消すことなく
裁きを導き出して、確かなものとする。
暗くなることも、傷つき果てることもない
この地に裁きを置くときまでは。
島々は彼の教えを待ち望む。
ただいま司会者にお読み頂いたイザヤ書42 章の冒頭部は、イザヤ書中に全部で4つあるいわゆる「僕の歌」のうち、その第一の「僕の歌」とされているものです。この歌の中に出てくる「傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく」という、深い響きをもった、かつまた具体的な情景をありありとイメージさせる言葉は、これま
で、どれほど多くの人々を慰め励ましてきたことでありましょうか。そのごく一例として、ある御二人のことに初めに少し触れておきたいと思います。
そのお一人目は、キリスト教共助会の会員で、島崎光正という御名前の詩人です。皆さんの中には、彼の詩をお読みになったことがあるという方もいらっしゃることでしょう。
私は幸いなことに、島崎さんご夫妻とは生前親しくお交わりを頂く機会に恵まれました。
島崎さんは先天性二分脊椎症という重い障がいを、誕生以来、生涯にわたってその身に負い続けた人でありました。その島崎さんが、60代初めに出されたご自身の著書のタイトルは、『傷める葦を折ることなく』というものでありました。
彼は、余人にははかり知ることのできない険しい運命を背負って、1919年、九州福岡にお生まれになりました。さらに、生後一か月で父上が急逝され、福岡から信州片丘の祖父母のもとに引き取られます。母上はこの出来事の中で精神の平衡を失うほどまでに悲嘆に暮れ、以後二度と光正さんと会うこと叶わぬまま、ほぼ20 年後に亡くなられます。彼は、こうして誕生とともに、父母(ちちはは)との悲劇的な死別・離別の中に投げ込まれました。とりわけ母早苗への彼の愛慕の情は、物狂おしいほどのものでありました。
片丘に移った後は、祖父母のもとで愛情深く養育されながらも、しかしその障がいは青年期に重篤化し、下肢の麻痺は、彼から、その豊かな才能を伸ばす教育の機会を、一つまた一つと奪っていくものとなりました。そのようにして幼少期以来、彼の魂の深部には、言うに尽くせぬ悲しみと淋しさがしんしんと蓄えられていきました。そして、それは彼の
生の深部にあって、疼(うず)き続けるものでもありました。
他方、そうしたなかにあって、通っていた小学校の校長であったキリスト者手塚縫蔵との出会いは、彼にとって終生変わることのない光となったものでありました。しかしその後、戦前、戦中そして敗戦直後と続く戦時期日本の陰鬱な日々のなか、彼はあるとき、国家による突然の暴虐に襲われます。それは、文学青年であった島崎が、特高警察によりその蔵書の一冊を見咎められ、思想犯の嫌疑をかけられ、塩尻警察署、長野刑務所に転々と拘禁されるという理不尽な弾圧経験でありました。半年間にわたって投獄されたというその事実は、島崎の人生を痛ましいほどに切り裂き、彼の孤独と淋しさは獄中にあって極点に達します。半年後、刑務所から解放された島崎は、しかし癒し難い心の傷と周囲からの冷たい白眼視に苛(さいな)まれながら、解放後の日々を歩まねばなりませんでした。
孤絶と淋しさの極みのうちで喘ぐ島崎は、「真に自分自身を支え慰めるものへの飢え」を自覚するようになります。こうして忘れ得ぬ恩師手塚縫蔵を訪ね、福音求道の生活を始めます。
だがその一方、島崎は、祖母の死、自身の肺炎といった心身の危機を、この時期重ねて経験します。彼は文字通り天涯孤独の身となります。その孤独と寂寥の深まりのなかで、島崎は、十字架のキリストへと一歩また一歩と追い立てられ、1948年の夏、遂に、木曾伝道の途次松本に立ち寄った牧師植村環(たまき)より洗礼を受けます。その後もなお数々の紆余曲折を経るなか、この信仰に支えられて、障がいを負った人々との共なる歩みに、その人生を捧げられました。このイザヤ書の言葉「痛める葦を折ることなく」は、先ほど申しましたように、その島崎が、後年、ご自身の著書の題名に選んだ言葉でありました。
そこに私は、この言葉が島崎の全生涯をどれほど深く支えるものであったのか、その消息の一端を垣間見るものです。
もうお一方は、戦後、基督教独立学園で長く家庭科を教えられた奥田貞子さんです。彼女は、原爆が投下された翌日、全市壊滅の広島に入り、被爆直後の焼けただれた廃墟の中で、兄上のお子さん方を八日間にわたって探されます。そのとき原爆がもたらした、言語を絶する惨禍を直接目にし経験されます。そのときのことを次の世代に伝えるべく、後年一書をまとめられた際、その人類史的な意義をもつドキュメントのタイトルを、同じくこの聖書箇所から取って、『ほの暗い灯心を消すことなく』となさいました。私は大学院生だったときに初めてこの本を読み、激しく心打たれたことをつい昨日の事のように思い起こします。息を詰まらせながら頁をめくっていったそのときの感覚は、今もって鮮明です。それほどまでに衝撃的なものでありました(この書は長らく絶版でしたが、近時、小学館より『空が、赤く、焼けて』と改題されて再出版されています)。
この二つの実例がすでに示しているように、この「僕の歌」は、重い障がいを負って生まれ、そして愛する肉親の父母に一度も会うこと叶わぬまま険しい生を生きなければならなかった人、あるいは歴史上未曽有の惨禍(カタストロフ)の現場を這いずり回り、そのなかで息絶えていった小さき者たちの最期の呻きを聞き、涙も嘆きも涸れ果てる、そのぎりぎりのところにまで追いやられた人、それら戦前・戦中・戦後を貫いて重畳(ちょうじょう)たる苦難を経験させられてきた人たちの、魂深くに沁み通っていった言葉であったという事、その事をこの御二人の書名は確然と告げています。
この「僕の歌」は、われわれの時代の最底辺にあって、そのようにして聞きとられ、その苦難と悲嘆の淵に沈む人の心にこそ深く沁み通っていった言葉でありました。今朝は、その「僕の歌」に向き合ってみたいと思います。
ある人が、天からの微細な声を感知し、それを聞き洩らすまいと、じっと佇(たたず)んでいます。その人は、その声に全身心を集中させるべく傾聴の構えに徹しています。しかしながら他面、その人には、見るべき面影もなく、他を圧するような威厳も、好ましい容姿もありません(参・イザヤ書53:2~3)。その外貌(すがたかたち)は、貧相にして人の好むところ一つだにありませんでした。しかしながら、その貧弱なる外形(肉の)印象のただなかから発せられてくる言葉を聞くや否や、それは聞く者の心を、そしてわれわれの心を、驚くほど強く打つものでありました。人々は、他のどこでも聞くことのないその言葉の力と響きとに圧倒され、それまで固く閉じていた心が開かれ、この人の言葉に真剣に聞き入る者が、一人また一人と現れてきます。そこにはすでに教会の始源のかたちが萌しています。今朝は、そのようにして佇み傾聴している人、その人にいささかなりとも迫ってみたいと思います。
イザヤ書の40章から55章までの一連の箇所は、『第二イザヤ』と呼ばれる独自のまとまりをなす文書です。そこには、預言者イザヤとは別人の、誰にもその名を知られることのない、しかし傑出した一人の預言者の語った言葉が集められています。その預言者のことを、旧約聖書学は、預言者イザヤとは区別して、第二イザヤと呼びならわしてきました。その第二イザヤは、預言者イザヤが活動した時期よりおよそ一世紀半以上も後の時代、南ユダ王国がバビロニアによって滅ぼされ、民の中心勢力をなした人々がことごとく捕囚民としてバビロニア本国へと連れ去られていった、バビロン捕囚の民族的苦境の真っ只中に現れた預言者でありました。
南ユダ王国の滅亡、そしてバビロン捕囚が起きたのは、紀元前586年のことでした。その時の有様を、列王記下は以下のように伝えています。
バビロンの王ネブカドネツァルの第十九年のこと、バビロンの王の家臣、親衛隊の長ネブザルアダンがエルサレムに来て、主の神殿、王宮、エルサレムの家屋をすべて焼き払った。大いなる家屋もすべて、火を放って焼き払った。また親衛隊の長と共に来たカルデア人は、軍を挙げてエルサレムの周囲の城壁を取り壊した。民のうち都に残っていたほかの者、バビロンの王に投降した者、その他の民衆は、親衛隊の長ネブザルアダンによって捕囚とされ、連れ去られた。この地の貧しい民の一部は、親衛隊の長によってぶどう畑と耕地にそのまま残された。 (列王記下25:8~12)
ユダの国の指導的な立場にあった人々は、ことごとくバビロンに捕囚民として連行さ
れ、あとには貧しい農民のみが遺棄されるようにして残されました。ユダの地にそのまま残された貧しい農民たちも、捕囚の地バビロンへと連行されていった人々も、こうして、亡国の民としての苦衷と辛酸のなかに投げ込まれていきます。この民族全体を襲った悲哀と苦難の経験は、彼らのうちに絶望と無力感と身心の虚脱状態をもたらすものでありました。そのときの彼らの有様を、詩篇137 編が伝えています。
バビロンの流れのほとりに座り
シオンを思って、わたしたちは泣いた。
竪琴は、ほとりの柳の木々に掛けた。
わたしたちを捕囚にした民が
歌をうたえと言うから
わたしたちを嘲る民が、楽しもうとして
「歌って聞かせよ、シオンの歌を」と言うから。
どうして歌うことができようか
主のための歌を、異教の地で。 (1~4)
この同胞の悲嘆と苦難と虚脱と落魄(らくはく)に取り囲まれながら、しかしながら、それになびき泥(なず)むこと一切なく、捕囚の地バビロンにあって、かえってこの苦境を正面から突破する道を歩んでいった人、それがこの名もなき預言者、第二イザヤでありました。その彼に臨んだ言葉、それは、決定的な二つの語から始まっています。
見よ、わたしの僕 ヒネー アブディー。
これは神が発している言葉としてここに記されています。それは、御覧の通り「見よ ヒネー」という言葉から始まっています。すなわち冒頭において神は、この僕へと目を向けよとの一語をもって、断然、民に呼びかけています。捕囚の地で力なく俯(うつむ)く者たちに向かって、その意気阻喪を打ち破る神のみこころ、それがこの「見よ」という一語に結集しています。その「見よ」とは、霊的覚醒へと民を突き動かさんとする格別の一語です。間髪入れず、「わが僕」という言葉が続きます。ただの「僕」ではなくて、「わが僕」となっている事に鋭意注意しなければなりません。その呼びかけの根底には、この僕を「わが僕」と集中的に名指す、主なる神の決然たる意志、みこころがたぎっているからです。その神の「わが僕」の名ざしとは、この人を伝道者として立たしめるものに他なりませんでした。
この人を「わが僕」としたのは、ただ神のみです。そこには、人の思わく思いはかりが入り込む余地は一点たりともありません。その事は、たとえ僕(しもべ)個人がどれほど宗教的に熱心な人であったとしても、あるいは彼の内に強い召命感があったとしても、さらには優れた人間的資質を具えていたとしても、それら人間の側の条件が、この僕を、最終的に「主の僕」=伝道者となさしめたのでは決してありませんでした。
それならば、教会組織が、教団がそれを最終的に決定・保証しているのかと問うなら
ば、それもまたまったくもって否です。教会組織は確かに伝道者を教規に基づいて、その資格授与をなしています。しかしながら、それがそのままその人を「主の僕」として最終的にそして本当に決定・保証するのかと問うならば、それもまた、決してそうではないと言わねばなりません。
むろん、実際上の問題として、ある人を伝道者としある人を役員とする、そういった教
会の職制が現に存在しているという事は、教会の長い歴史と伝統に基づいている事であっ
て、尊重されるべきものである事は、言うまでもありません。しかしその事を尊重しなければならないと俄然主張するときに、決して忘れてはならないことがあります。それはす
なわち、こうした職制というものは、それがたとえどんなに宗教的な衣をまとっていよう
とも、そこにはとどのつまり究極的な保証はない、いやそれどころか、それは人間が最終
的な保証を与え得るようなものでは決してないかつまた与えてはならないという厳粛な
事実です。この伝道者の最も根底にある無保証という事実を、冷静に謙虚にかつまた深く
自覚しておかねばなりません。ヨハネ福音書もまた、そのことを語っています。
「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたが
たが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父
に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。」
(15:16)
こうして、教会の職制を最終的に保証するものとは、ただ、「見よ、わが僕」と宣言す
る神、その人を「わが僕」と名指して選ばれた神以外にはいない。それが旧新約聖書を貫
いて、預言者の伝統が語っているところです。しかし肉の人間の弱さは、その消息の一点
に踏みとどまることができません。そのためにわれわれは、ともすると、この神の最後的
決定という事をまたぞろ人間的決め事・思わくで塗り固め補強しようと齷齪(あくせく)し
出します。その時にこそ、われわれは、この神の最終決定というただ一事へと、畏れ砕か
れて、何度でも引き戻されていかねばなりません。そこに、主が選び給うというその一事
へと教会が何度でも真剣に立ち戻っていく、そのような覚醒が常に新たに求められてくる
所以があります。その出来事への畏れを迂回して、人間世界の組織論や価値判断があれこ
れ前面にしゃしゃり出てくる時、逆に、そこに教会のこの世との馴れ合い、教会の堕落、
教会の権威主義が必ずや生じてきます。その事にわれわれは鋭敏であらねばなりません。
「見よ」とのここでの一語は、闇夜を切り裂く瞬間閃光の如く、その目覚めをわれわれに
迫る、天地を震わす雷撃一閃の神の命令(ことば)です。しかもその一語の奥底には、「わ
が選び人」に対する神の「喜び」がうねりたゆたっています。
その「わが僕」を世に遣わすに当たって、神は「わたしの霊」(1b)をその人に注ぐと
宣言しています。何と恵み深い言葉でありましょうか。その主の霊に震われて、それに対
して畏れつつ、なけなしの応答をかすれ声で呟くとき、それがたとえどんなに微弱であっ
たとしても、そこに語る者の狭さと罪責を打ち破ってなお響き出すものがあるとするなら
ば、それこそが、聖霊の働きと言わざるを得ないものでありましょう。教会の伝道とは、
各自その一点への集中、その聖霊の働きに賭けていくこと、そして最後まで弛(たゆ)ま
ず祈りつつ賭けていかねばならないことなのだと思います。キリスト者とは、この聖霊
によって不断に教えられる者だとヨハネ福音書もまた語っています(「父がわたしの名に
よってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことを
ことごとく思い起こさせてくださる」(14:26))。
それでは「主の僕」は、その主からの教えをどのようにしてなしていくのでしょうか。
それを示すのが2 節から3 節です。
彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。 (2)
これら三つの事は、要するに、人集めに、すなわちは組織保守のために声を張り上げる
ことへの厳しい批判の言となっています。それらのことは、キリスト教を始め、どの宗教
にとっても、どの団体にとっても、自己拡張・自己肥大化への誘惑として、様々なかたち
をとって現れては消え、消えては現れてくるものです。しかし「わが僕」は、それら一切
に抗して、その道を歩まないというのです。
ただし、ここには、自分ひとりの内に内閉自足していくこと、言い換えれば、叫び声を
上げるべきときを脇目づかいで見流し、その声を上げようともしない、その自分自身の怠
慢を正当化するためこの言葉を用いようとする、そのような誘惑が忍び込んできます。川
端純四郎という人がいます。宗教哲学者として、長らく東北学院大学でキリスト教学を教
えておられた方ですが、そのキリスト者としての活動は、教会の内外において、篤実かつ
多岐にわたっていました。彼は、あるところで次のように述べています。
キリストに従うという事は、単に自分の内面に平安を得るためだけになされる事ではな
い。それはもちろん極めて大切なことであるのは間違いない。しかし同時に、キリストに
従うという事は、社会に厳存する他者の苦しみ、そしてその苦しみをもたらしている社会
の現実に対して、見て見ぬふりをする事なのでは決してなくて、勇気をもって抵抗の闘い
をなしていくことを必須のこととしているのだ、と。
彼は、自らの熟考と責任に基づいて、政治的党派とも、是々非々を明確にしつつ大胆に
そして自由に連携を模索して、この世を支配する権力の構造的悪に対する不服従と抵抗の
活動を具体的になし続けた人でした。その彼が、反戦平和のデモをはじめ、数々のデモに
主体的に参加するのは、自分にとって一つの信仰告白なのだと語っています。私は、その
言葉を忘れることができません。その言葉に面しながら、飯沼二郎先生のお姿を思い起こ
すこと頻りでもありました。
むろん人間である以上、政治的判断についてもパーフェクトな判断を下すなどという事
はあり得ません。しかし、社会の中で隣り人が苦しんでいる現実から目を逸らさぬよう注
意深くあること、またその矛盾を見抜くための学びをこつこつと重ねる事、それでも間
違った判断を下したと気づかされたときには、それを改め、潔く歩み直していくこと。そ
のようにしてキリストに従い歩んでいく事が、信仰者には許され求められているのではな
いか。あらましそのような事を述べておられます。
この川端の姿勢に導かれて、われわれには、この社会のなかで、この時代のなかで、叫
び、呼びかけ、声を巷に響かせることが必要なときもあるという事を心に刻んでおかね
ばなりません。それは、時の徴を見分ける責任をわれわれが負っているという事と同義
です。その自覚の上に立って、この僕の歌を噛みしめ味わい直さねばなりません。すなわ
ち、自己肥大化のために、組織保守のために、他者支配(コントロール)のために、要する
に自分のために「叫ぶこと、呼ばわること、声を巷に響かせること」をしない、かつその
ことを肝に銘ずるという事を。それはわれわれに「ノーブル」であることを求めるもので
す。この世相のなか、われわれの日々の現実に、この僕のノーブルが刻みつけられますよ
うにと祈るや切です。
三節は、その事の一層の徹底を語っています。「傷ついた葦」も「ほの暗い灯心」も、ともに人間存在がどれほど脆く弱いものであるのかを示しています。傷ついた葦も、ほの暗
い灯心も、自分で自分を立て直すことはできません。さらに、それらは、放置すればほん
の一ひねり、ほんの一吹きで、全面的に折れてしまいそして消えてしまうしかないもので
す。その傷ついた葦、ほの暗い灯心、それは何よりも、われわれ自身に他なりません。
この国の戦争の惨禍から八〇年、今回の選挙では、その苦しみと悲嘆と虚脱の経験など
何事でもなかったとばかりに胸をそびやかせてがなり立て、バルネラブルな(傷つきやす
い)歴史の事実に学ぼうとすること一切なく、かえって核武装こそ安上がりだと傲然と叫
び、自分ファースト自国ファーストを猿真似よろしく後追いする者どものところへと人々
が群がり集まっています。そこから噴き出してくる暴力的な風に、傷ついた葦、そしてほ
の暗い灯心は、震え怯えています。
しかしこのとき、わが僕は、今まさにその震え怯える葦、震え怯える灯心を、徹底的に
支え守らんと身を乗り出しています。わが僕に与えられた霊とは、まさにその傷ついた葦
を、ほの暗い灯心を、決して放置しない霊、守り支える力ある霊であり、苦難と悲しみと
虚脱のなかにうずくまる民のところに赴き、その震え怯える者たちを助け励ます、その一
事をなす者、それが「わが僕」なのだ。その僕を私は遣わす。そこに主のみこころがあり
喜びがあるというのです。
初めに触れた御二人、彼らは、ご自身どれほど傷ついた葦であり、ほの暗い灯心である
のかを、心底味わった人たちでありました。しかし繰返しますが、それはその御二人だけ
の話ではなく、突きつめたところ、この核の狂気の時代、悪虐なる国家暴力が独善野放し
にされている時代、自分ファースト自国ファーストがはしゃぎまわる時代、そのような時
代のなかに投げ込まれているこのわれわれ自身、傷ついた葦、ほの暗い灯心でなくて何で
あるというのでしょうか。
マタイ福音書は若干の変更を加えつつも、この主の僕の歌が、主イエスにおいて成就し
たのだとの告白証言を、深い驚きと喜びとをもってなしています。
イエスは皆の病気をいやして、御自分のことをいいふらさないようにと戒められた。
それは預言者イザヤを通して言われていたことが成就するためであった。
見よ、わたしの心に適った愛する者
この僕にわたしの霊を授ける。
彼は異邦人に正義を知らせる。
彼は争わず、叫ばず、
その声を聞く者は大通りにはいない。
正義を勝利に導くまで、
彼は傷ついた葦を折らず、
くすぶる灯心を消さない。
異邦人は彼の名に望みをかける。
(マタイ福音書12:15~21)
傷んだ葦、ほの暗い灯心たるわれわれ自身の内に、またこのわれわれを覆う世界の無惨の内に、芥子粒(けしつぶ)ひとつの望みをも見出すことはできません。しかしキリスト共にいますことを知るとき、折れてしまったと見える葦も、消えてしまったと見える灯心も、そのキリスト・イエスは決して見捨てない。じじつ、悲哀と孤絶に沈む島崎を、主は決して見捨てず世に遣わされた。じじつ、核の地獄のなかを這いずり回った奥田を、主は決して見捨てず世に遣わされた。彼らは、まさにその「傷ついた葦を折ることなく、ほの暗い灯心を消すことのない」主に深く見出されつつ、自身「傷ついた葦を折ることなく、ほの暗い灯心を消すことのない」道を生涯を賭けて歩んでいかれた。
このとき、われわれもまた、この僕の歌を、おのがじし、わが歌として歌いつつ、「正
義を勝利に導くまで」、「異邦人(=万国の民)に正義を知らせるまで」と、深い呻きを
もって語られる主が、いまどこに顔を向けて歩んでおられるのか、われわれもまた、その
後をそれぞれの馳せ場にあって真剣に追い求め、そこへとわれわれ自身の顔を向けていく
ことができるよう、主よあなたの霊を注ぎ給えとの祈りを新たにそして深くしたいと思い
ます。
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