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キリスト教と文化──田中邦夫兄の思索の跡を辿りつつ──

  • admin_ksk
  • 6月18日
  • 読了時間: 26分

更新日:6月18日

2025年5月25日 主日礼拝説教 下村 喜八


聖書 コリントの信徒への手紙 I 第 9 章 19~23 節

わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多

くの人を得るためです。 ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。 また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。 弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。 福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。


 昨年の12月11日に敬愛する田中邦夫兄が天に召されました。雑誌『共助』の編集長から追悼文を書くようにとの依頼をうけました。3,000字以内という制限があるうえに、過去の記憶が曖昧なために中身のない出来事の羅列にとどまり、彼が長年精魂をこめて考察・探求していたテーマ、すなわち森明について、キリスト教と文化について、現代における信仰と社会科学について等にはほとんど触れることができませんでした。それ以来、彼に対して申し訳ない気持ちがぬぐえずに過ごしています。そのようなこともあって、この三ヶ月ほど、折を見つけては彼が書いた文章を読み返しました。するとまた別の意味で、彼に対して申し訳ない気持ちになりました。なぜもっと丁寧に読んで来なかったのかと後悔しました。兄の読書量は驚くべく膨大です。それをベースに書いていますので、私にはどうしても十分に咀嚼(そしゃく)できないところが残ります。雑誌「共助」の一編の記事に 20人以上の著者の名前が出てくるものもあります。「恥ずかしながら田中君、これはどういう意味なの」と聞きたいところがたくさん出てきます。彼の文章は衒学的(げんがくてき)であると言ってつまずく人がいるかもしれませんので、彼を少し弁護しておきたいと思います。この膨大な読書量と衒学的という印象については、森明についても言えることですので、少し回り道をして森明についての奥田成孝先生の文章を紹介させていただきます。


(森)先生のお話や書かれたものにオイケン、ベルグソン、ビンデルバンド等多くの当時の学者の名がでてきた。評する人の中には衒学的だといった人もあるやに聞くが動機が全く異なったといえる。丁度京都にみえた時「宗教に関する科学と哲学」が出版された直後であったが、先生は「自分なりの言葉で書けば多少は独創的なものができ人の注意をひくかも知れないが、他面批評をうけたり論議を呼び起す。自分をみとめてもらうために議論をしている暇はないからね。既に名ある人々の思想や論述を衣としてかりるのだ」といった意味のことを語られた。すべてはキリストのためにお役にたてばといった思いであろう。 (『「一筋の道」を辿る』122 頁)


 同じことが田中兄についても言えるように思います。彼はとても几帳面な性格です。家族が引き散らかした物を彼がかたづけてまわるほどの人物です(これは想像上の話ですが)。彼は学をひけらかしているのではなく、著者の言葉をできるかぎり正確に伝えようとしているのだろうと思います。キリストのために厳密な仕事をしているのだと言えます。また森明にならって「学問の世界において負うべきキリスト者の責任」(『森明著作集』 第二版 30 頁)をまっとうしたいという一念から書いているように私には思われます。

 娘様からのお手紙によりますと、田中兄は、不治の病に倒れてから、彼女にいくつかの言葉を言い残しましたが、一つは、「お父さんは神様の仕事をしに行くんだよ」です。神様の懐に帰ってもなお、彼はキリスト教の真理性を証しする仕事をつづけるつもりのようです。私には想像だにつかないことでした。


奥田先生は森明について次のようにも語っておられます。


(森明は)政治も語る、社会問題にもふれる、学問も尊重する、長き伝統に基く歴史にも思いを致す。その語る問題は広範であり、視野は実にひろいが、そのすべてが、それらの中に思いが埋没するのでなく又勿論(もちろん)分離するのでなくそのすべてがキリストの下に、その光の中におかれて私共の思いをキリストへの責任として、かりたてずにはおかないという感である。 (『「一筋の道」を辿る』 120 頁)


 この言葉もまた田中兄に当てはまると私には思えます。田中兄の視野は、専門である哲学を初め、文学、神学、社会科学、歴史、政治・経済、さらに現代の諸問題等、驚くべき広範囲であります。しかもそれらが個々バラバラに(分離して)追究されるのでもなく、また奥田先生の言葉のように、追究自身が自己目的になって、それらの中に思いが埋没するのでもありません。すべてはキリスト教と文化という課題のもとにおかれ、文化との関わりのなかでキリスト教の真理性を明らかにしようとしています。すなわちすべてをキリストという光のもとにおこうとしています。そのようにして、「私共の思いをキリストへの責任として、かりたてずにはおかないという感である」という奥田先生の言葉も、そっくりそのまま田中兄に当てはまるように思います。彼の記事を読んでいると、私もまたキリストへの責任を果たすためにもう少し頑張ろうという気持ちになります。


 さて、今日は、彼を偲びつつ、また彼の助けを借りながら「キリスト教と文化」というテーマでお話しさせていただきます。ちなみに「キリスト教と文化」というテーマは「福音と文化」あるいは「信仰と文化」とも呼ばれます。話の内容上、今日の説教が講演のようなものになることを恐れています。

 私が最初に田中兄と出会ったのは、京都大学の共助会聖書研究会でした。彼と私は同じ年齢でした。その後、二人は、北白川教会、川田殖先生宅での聖書研究会、長野の正安寺での聖書研究会、佐久学舎での聖書研究会と、同じ信仰と学びの道をたどっています。

田中兄はその当時から関心領域が広く、物事を的確な言葉で表現する能力に秀でていました。その点、俗な言い方ですが、私は彼に一目を置いていました。いつしか交わりが深まり、彼が語り私が聞き役のことが多く、頼りない相手であったかもしれませんが、私に

とって換え替えのない友人となりました。大学三回生のときに誘いあって同じ下宿に移りました。一緒に聖書を読み、祈るためでした。その冬、二人で相談して、瓜生山で早天祈祷会を始めました。ところがあまり丈夫でない私は、数日後に風邪を引いて寝込んでしまいました。その際、教会員で、中国人のお医者さんの徐積鑑先生と牧師夫人に大変お世話になりました。その消息については、以前「いわれなき愛」という題でお話しさせていただいたことがあります。風邪の症状は、治ってはまたぶり返すという具合で、体調不良が長引いたために、残念なことに、早天祈祷会は頓挫してしまいました。

 大学院を終えたあと、勤務地が互いに遠隔となったため会う機会も少なくなりました。30 代の後半だと記憶していますが、鹿児島大学に赴任している彼を訪ねたことがありました。その二日目、彼の運転する自動車で薩摩半島を海沿いに走る楽しい時が与えられました。晴天に恵まれ、真っ青な海を眺めながら語りあい、食事をしたりコーヒータイムを取ったりと、ゆったりとした行程のドライブでした。旅から帰ったあと、数ヶ月のあいだ、私の体の中で青い果てしない海が広がりつづけていました。歩いているときも、本を

読んでいるときも青い海が広がっていました。実に不思議な体験でした。親友との久しぶりの再会で私の心は弾んでいました。その完全にオープンな心の中に密かに海が侵入していたものと思われます。

 1999 年 4 月に大学改革の一環として国立大学の法人化が検討されはじめました。地方の大学からは一斉に反対の声があがりました。その中でも特に強く反対の姿勢を示したのは鹿児島大学でした。その渦中にあって、田中兄は学長補佐として主導的な役割を担っていました。彼はタクシーに乗っているときも本や資料を読んでいたと聞いています。これは田中兄が、「学問の世界において負うべきキリスト者の責任」を果たそうとして心血を注いだことでもあります。北白川教会の皆様にもほとんど知られていないと思われますので、彼の主張の内容をご紹介したいのですが、時間的にそのゆとりはありません。そこで後日配信される礼拝記録の末尾に、付記としてつけさせていただくことにします。お読みいただければ幸いです。

 ナチスの時代に日本に亡命したユダヤ人哲学者カール・レーヴィット(1897~1973)という人がいます。1936 年から 5 年間、東北大学で哲学とドイツ語を教えました。彼は日本の知識人について次のように批評しました。「(日本の学者や学生は)いわば二階建ての家に住んでいるようなもので、基礎にあたる下の階では日本的に感じたり考えたりし、そして上の階ではプラトンからハイデッガーにいたるヨーロッパの学問がずらりと並べられている。ヨーロッパ人の教師は、その間を行き来する階段はどこにあるのかと疑問に思う」(『ヨーロッパのニヒリズム』あとがき)。明治以降の文明開化によって西洋の文化や制度が取り入れられました。その過程で、さまざまな生活領域で、言葉や概念としては知っているが、その内実は知らないということが起こりました。これは今まで未知であった文化や制度を取り入れる際には必ず起こることであります。おびただしい翻訳語が生まれました。「自由」「社会」「個人」「自然」「民主主義」「恋愛」等。学生のとき宗教学の講義で、キリスト教の God は、「神」と訳すか「仏」と訳すか「ゴッド」と訳すか、少なくとも三通りの可能性があったと知ったときには大変驚きました。最終的には「神」と訳されたわけですが、神は日本人にとっては八百万の神を表しますので、キリスト教の神とはまったく別のものです。したがって私たちにとって「神」という容器にどのような神の像を入れてゆくのかはキリスト教の信仰にとって死活の問題となります。

 大学の聖書研究会の後輩に沖縄出身の平良健次君という純朴な学生がいました。ある年の三月に京都市内に夕方から牡丹雪が降りつづきました。大粒の雪が街灯に照らされる情景は、得も言えず、ため息がもれるほど美しいものでした。平良君にとっては生まれて初めて見る雪です。しかも京都でもめったに見ることのできない美しい雪です。彼は感動のあまり、眠るのが惜しく一晩中歩きまわっていたとのことです。彼は言いました。自分は純粋という言葉は知っていたが、これこそ純粋だと言えるものを初めて見たと。このように私たちは具体的な経験を通して言葉に、その内実を満たしてゆくことになります。

 日本のキリスト教界では、1960 年代の終わりから 1970 年代の初めにかけて対立・紛争が起こりました。そして大阪万博のパビリオンの一つとしてキリスト教館を設ける計画がありましたが、頓挫しました。その紛争の残滓(ざんし)がいまだ色濃く残っているように思われます。これは日本のキリスト教にとって大変不幸なことです。

 一方は、関心と活動の中心を社会問題の解決に置きます。信仰は極めて人道主義的です。自分たちの信奉する社会的イデオロギーを実現するためにキリスト教を利用している感すら受けます。この人たちの特徴は、自分たちの活動とその成果をさかんに公言することです。ガラテヤ書の二章に次のようにあります。


わたしは、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。(2:19~20)


つまりキリスト者の働きは、私たちを通してなされたキリストの働きです。しかし、この人たちはこの消息をお知りにならないように思われます。

 他方、教会をできるだけ社会から切り離し、教会形成を自己目的にする教会があります。このような教会はかなり多いように思われます。教会主義ないし教会中心主義と呼ばれるものです。教理を重んじ、純粋で正しい信仰を守ろうとします。説教は、没時間的で、聖書から読み取ったいわゆる「神の言葉」を、時代状況や政治や社会問題とはまったく、あるいはほとんど関わりのないものとして語られます。キリスト教と文化の関係、両者の交渉・対話の問題にはまったく無関心に見えます。ここでは文化という言葉を非常に

広い意味で用いています。田中兄は文化とは、「文学や芸術や科学などだけではなく、政治や経済や社会問題など、およそこの世の営みのすべてを含む」と定義しています(「共助」2016 年第 1 号 24 頁)。さらに兄は、「この世の生とは、事実上、われわれが文化と呼

んでいるものと同一なのである」というカトリックの神学者(カール・ラーナー)の言葉を引用しています。今日のテーマである「キリスト教と文化」においても、このような広い意味で文化という言葉を用いています。

 4月27日の主日礼拝で、高橋由典さんが「放蕩息子について考える」という題で、良く考え抜かれた感銘深い説教をなさいました。冒頭部分で、京都大学内で主宰されている聖書研究会の方針について話しておられます。そして「現代日本に暮らすふつうの人が聖書を読んで抱く疑問を決して疎(おろそ)かにしない」ことがこの聖書研究会の方針であると、さりげなく語られていますが、これは大変大事なことであると思われます。これがまさに聖書あるいは福音を広い意味での文化との関わりの中で読むということです。文化と

の対話の中で聖書を読み、その真理を読み取り、それを生きるかどうかを自主的に選ぶことになります。先ほど言いました教会中心主義の教会に欠けていることです。日本のキリスト教界のかなり多くの部分は、いまだにレーヴィットのいう二階建て構造になっています。牧師は二階で聖書や注解書や神学書を読んで説教を準備します。それは、時代状況や社会問題、あるいは具体的な現実の生活から切り離して読み取られたものです。信徒たちは、日頃、一階に住み、混迷を極める時代状況のなかで、さまざまな悩みや問題を抱えて生きています。日曜日になると信徒は二階に上がって礼拝堂で説教を聞きます。しかし二階と一階を結ぶ階段はないのであります。あったとしても、とても狭いものでしかありません。日本のキリスト教界の現実の一つであります。

 このような現実を思うとき、「現代日本に暮らすふつうの人が聖書を読んで抱く疑問を決して疎かにしない」こと、聖書あるいは福音を広い意味での文化との関わりの中で読むということがきわめて重要であると思います。

沖縄出身の平良君は、京都で初めて雪を見ました。しかもまれにしか見られない美しい雪を。そのとき彼は純粋という言葉に初めてその内容が満たされたと感じました。日本という文化の中で育った私たちも、聖書を読み始めるとよく似た経験をします。この世という文化は、自分ファーストが支配する世界です。せいぜいギブ・アンド・テイクで動いている社会です。そのようななかで、聖書を読むと、病人、貧しい人、社会から排除されていた人、そういう弱い小さい人の苦しみを共に苦しみ、ついに十字架にかかり人間の罪とそこからくる苦しみもすべてを担われるイエス・キリストに出会います。そのとき深く心をうたれ、自分のなかで、今まで未知であった何かが生まれてくるのを経験します。愛という言葉は知っていました。しかし今、その言葉に初めて真の意味が満たされたことを知ります。

 また私たちは、神社に行きお祓いを受ければ、罪も汚れもすっかり洗い清められるという文化のなかで生きてきました。しかし私たちは共苦の愛を生きられたキリストに出会うときに、そのキリストという鏡に、それとは真逆の姿をした自分が映し出されます。そのときはじめて、キリスト教でいう罪とは何かを知り始めます。

 田中兄は、現代のキリスト教にとっての最大の問題は、二つあると言います。第一はキリスト教とは何かという真理問題を今一度真剣に考え直し、これを体験し直すこと。第二はキリスト教と一般文化との関係を思想上から、および実生活の上から明らかにし、キリスト教の文化に対する使命を徹底せしめることであるとし、次にように述べています。


これまで何度か述べてきたように、人は “つねにすでに文化内存在” なのではないか。つまり人は、自分がそれによって形成された文化の中から問い始めるのではないか。たとえば日本人は、日本のこれまでの言語文化や、その他あらゆる文化形式を通して聖書の言葉を受け取り、その言語に問いかけ、従来の文化価値を越えてある経験をするのではないか。そこには “文化を通して+文化を越えて” という動詞構造がある。これが「文化の常識より見たる」という森明の言葉の意味であろう。つまり人は、「キリスト教とは何ぞや」という問いを、文化抜きの純粋透明空間で問うているのではなく、つねに彼が生い育った分厚い具体的な文化空間の中から問うのである。したがって、第一の問題と第二の問題とを切り離すことはできない。ただ一つの問題があるだけである。「キリスト教と一般文化の関係」という問題は、信仰者にとってキリスト教信仰そのものの問題として極めて切実なのであり、第二の問題としてそれに付加されるような付録的問題ではないのである。 (『共助』2020 年第 2 号 15 頁)


 今お読みした文章は極度に濃縮されたジュースのような味がします。うまく成功するかどうか分かりませんが、すこし水で薄めて味わって見たいと思います。まず、人は “つねにすでに文化内存在” であるということは、今まで述べて来たことから十分ご理解いただけると思います。私たちは現代の日本において、日本語を習得しながら、日本の生活習慣のなかで、出会う人々の感じ方や考え方や生き方の影響を受けて育ってきました。今もそれらのなかにどっぷりとつかって生きています。そしてたとえば聖書を読む場合、この言葉はどういう意味であろうかとか、これは事実であろうかとか、この考えは時代おくれではないだろうかとか、私たちはさまざまな疑問をいだきます。それらの疑問は文化のなかから生じてきたものです。これまで私たちを形作ってきた文化を通して聖書の言葉を受け取り、その言語に問いかけ、互いにすりあわせを行うなかで、従来の文化価値を越えて何らかの新しい経験をすることがあります。たとえば、今まで知らなかった真の意味での愛(アガペー)や罪を経験します。そこには “文化を通して+文化を越えて” という動詞構造があります。すなわち今までの文化の世界を越えでる動的な出来事が起こるということです。そのようにして初めてキリスト教とは何かが分かってきます。文化抜きには分かりようがないと田中兄は強調します。彼の言葉をそのまま復唱します。つまり人は、「キリスト教とは何ぞや」という問いを、文化抜きの純粋透明空間で問うているのではなく、つねに彼が生い育った分厚い具体的な文化空間の中から問うのである。つまり「キリスト教とは何ぞや」という問いは、意識するかしないにかかわりなく、自分が生い育った文化のなかから尋ねているのであり、そうであって初めて答えが出てくるのである。したがって、第一の問題と第二の問題とを切り離すことはできない。ただ一つの問題があるだけである。「キリスト教と一般文化の関係」という問題は、信仰者にとってキリスト教信仰そのものの問題として極めて切実なのであります。

 日本のキリスト教界に見られる二階建て構造は、「信仰と文化」の問題と深く関わっています。つまり信仰と文化の関係が断たれていることと密接につながっているように思われます。

日本のキリスト教界の多くの部分はなぜ二階建てなのでしょうか。思いつくままにあげてみます。第一に、外来文化であることがあげられると思います。明治維新から一五八年が経過しました。しかし民主主義も自由も人権の尊重もいまだ定着していないのが現状です。キリスト教もまた日本という土壌に根を下ろしていない切花に近いと言えるかもしれません。第二に、日本人には、現世の利益と幸福を願う強い傾向があります。日本の宗教もほとんどご利益宗教です。そのような風土のなかでキリスト教もご利益宗教に変質している可能性があります。この場合、キリストの十字架の贖いはお祓いに相当します。お祓いを受ければ、罪も汚れもすっかり洗い清められるという生活習慣が染みついています。

したがってキリストの罪の赦しによって、過去、現在、未来のすべての罪が赦されていると考えます。この場合、信仰に入る前にも後にも、罪との戦いは存在しません。そのようなキリスト者は実際にかなりおられます。ボンへッファーは、キリストは罪人を赦したのであり、単に罪を赦したのではないと言います。赦された罪人は、その赦しに応えて生きようとします。しかし罪の赦しを、お祓いと同じように受け取る人は、赦しに応えるいわれはないのです。この場合は一階だけがあって二階はないのであります。第三に、聖職者も信徒も関心領域が狭いことがあげられると思います。これは国民全体が抱える問題です。田中兄は日本人に特に欠けているのは、歴史意識、社会科学的な素養、社会思想であると言っています(歴史意識とは何かについて今は触れないことにします)。第四に、日本の教育のあり方と深く関わっている可能性があります。日本の従来の教育は、教えられたことを受け身的に吸収する教育であり、主体的・能動的に学ぶ教育ではありませんでした。そのなかで、知識欲は旺盛であるが疑問をもたない人間、考えることをしない人間が育ちます。教会もそのような教育を受けてきた人間によって組織されていますので、説教や聖書から得た知識、あるいは教えられた教義をその通りであると信じることが信仰であると考えている人が多いのが現状です。そしてこのような教義信仰は彼岸的な信仰になる傾向をもっています。全能の神、永遠の生命、死後の復活、将来の神の国の到来を強調します。以上、日本のキリスト教界における二階建て構造、および信仰と文化の分離について考えました。

 田中兄はさらに、人間が用いる言語そのものに分離する働きがあることを指摘しています。この分離する働きは、空間化とか実体化とか呼ばれるものですが、それはさておき、言語は、渾然一体となったものをバラバラにして表現します。田中兄のたとえをそのまま借用します。ここに一杯の紅茶があるとして、言葉でそれを記述しようとすると、紅茶葉+砂糖+お湯、となります。しかし現実の美味しい紅茶は、それらが頃合いのバランスで渾然一体となった全体です。渾然一体ぶりは言葉では表現できません。しかしこの場合

は、紅茶葉だけでは用をなさないことは誰にでも分かります。それに比し信仰と文化の場合には、目に見えないため、それが分かりづらいのです。信仰と文化は相互に規定し合って緊密に一つの全体を構成しています。それを二つのものに分離すると、二つの緊密な関係に決定的なダメージを与えることになります。信仰と文化の場合は、「全然別個の二つの世界」と錯覚をして、信仰だけに生きることが可能であると考えてしまいます。そのようななかで次の兄の指摘はとても重要です。


ブルンナーは名著『出会いとしての真理』において、三位一体その他の「教義」についてギリシア哲学にもとづく実体的名詞的な捉え方を批判し、それを動詞的に考える必要性を力説した。これも同じ観点からである。(話者補足 実体的名詞的な捉え方とは、父、子、聖霊の三つを、非人格的な概念として捉えること)。三位一体とは、動詞的には、父なる神とキリストとの交わりへの「招き」なのである。「これ汝らをも我らの交わりに与らしめんためなり」(I ヨハネ手紙 1: 3)、また「ある人、盛んなる夕餉(ゆうげ)を設けて、多くの人を招く」(ルカ 14:16)とある通りである。そこに示されているのは “神の働きかけ” である。私は、ブルンナーを読む前に、奥田先生から、森明の三位一体論として同主旨のことを聞いたことがある。『「一筋の道」を辿る』を読んで、あらためて森明の洞察の深い素直さを感じる。神が「昨日も今日もまた明日も働きたもう」ということは、神が「絶対的永遠に招きたもう」ということである。信仰とは、教義への信仰や同意といったことではない。少なくともそれが中心ではない。信仰とは何よりも「神の招き」に応じるという動詞的なこと、応答的なことである。信仰に関することはすべて応答的なことであり、動詞的に解釈されなければならない。そしてこの “動詞的な捉え方” の重要性こそ、キリスト教と文化の関係交渉の問題を解明する上で、もっとも重要な伴なのである。 (『共助』 2019年第2号、19頁)


まったくその通りであると私も思います。信仰とは神の招きに応じることです。奥田先生の言葉を借りれば、「信仰とは父なる神と子なるイエスとの愛の内にある一つなる交わりのなかに、弟子たちと共に迎え入れられること」です。人格的な、愛と信頼の関係です。したがって、上記の、「信仰に関することはすべて応答的なことであり、動詞的に解釈されなければならない」という氏の言葉は、「信仰の関することはすべて人格関係のなかで成り立つことである」と言い換えることもできます。教義や使徒信条への信仰や同意は静的・名詞的なことです。信仰がそれらを知性的に承認することになり、人格的信頼関係を欠けば、もはや信仰とは言えないものになります。それゆえブルンナーは言います。「正統主義の信仰(=教義信仰)はあれほどまでに愛に関して貧弱なのである」(『出会いとしての真理』 143 頁)。

 田中兄は、「文化対キリスト教の問題」は森明の生涯の課題であったが、それはただ単に森明の生涯の課題であっただけでなく、この世におけるキリスト教の全歴史は、その成立以来、「キリスト教と文化の問題」であったと言います。そればかりでなく、――共助会の偉大な先達である原田季夫氏の言葉を借りるかたちで――、「福音と文化の関係論こそは人類歴史に残された最大の課題であると言っても決して過言ではない」としています。「福音と文化」の問題は私たちキリスト者にとって神の国の到来までつづく巨大な射程をもつ課題であると。私もその通りだと思います。

 ところで文化との関係のなかでキリスト教の真理性を思想の上、および実生活の上で明らかにすること自体、キリスト教を証しする宣教行為そのものであると言えます。同時に、自身の信仰を確かなものとすることであり、キリスト者としての自覚を強めることであります。この世との戦いのなかで、「福音を恥としない」(ローマ 1:16)心の姿勢を与えられることになります。

さらに根本的には文化との対話は、イエス・キリストご自身が生きられたことであり、キリストに従って生きるキリスト者の責任であり、使命であります。パウロはローマの信徒への手紙で次のように言っています。


わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。(ローマ 1:14~15)


その責任をパウロはどのようにして果たそうとしたのでしょうか。先ほど司会者にお読みいただいた「コリントの信徒への手紙一」では、次のようにあります。


わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうでないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法にしたがっているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。弱い人に対しては弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。(コリント I 9:10~23)


 ユダヤ人にはユダヤ人のようになり、律法を持たない人には律法を持たない人のようになり、弱い人には弱い人になる。これは、他者の生きる文化のなかに入ってゆき、他者の立場に身を置くことではないでしょうか。イエス・キリストは私たちの所まで降りてきてくださり、私たちの罪と弱さ、病と苦悩のすべてをご自身の身に負ってくださいました。そのキリストに生かされ促されて、私たちもまた他者の重荷を担うことが求められてい

ます。


 今日のお話しとの関連では、キリスト者は二階から一階に降りてゆくことが求められています。さらに言えば、一階と二階を行き来することが求められています。文化に対して超然とした態度を取るのではなく、他者の置かれている文化のなかに入り込み、他者を知り、他者の重荷を共に担うことが求められています。そのようにしてキリスト教の真理は証しされてゆきます。またそのようにして、私たちは父と子の一つなる交わりのなかに入れられ、福音に共にあずかる者とされます。


すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。

福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。 (9:22~23)


《付記》

 1999 年 4 月に大学改革の一環として国立大学の法人化が検討されはじめました。地方の大学からは一斉に反対の声をあがりました。その中でも特に強く反対の姿勢を示したのは鹿児島大学でした。その渦中にあって、田中兄は学長補佐として主導的な役割を担っていました。彼の主張は次のようなものでした。

 行政改革の一環として法人化が行われようとしているが、行政改革の「外側から」の要求と、大学改革の「内側から」の要求とが矛盾対立することになる。これが彼の主張の根本的な立脚点です。大学の本来的な任務は、教育においては、創造的な自己形成能力の養成であり、研究においては、未知の学術的価値の発見である。行政改革の考えは、もっ

ぱら、すでに定まっていることを反復する業務については有効であるが、創造的な業務には適さない。また政府は、国民の税金を投じる以上、国が教育・研究の企画立案の権能をもっていると主張する。しかし、それでは大学存立の本質的要件である教育研究の自由、自立性、自発性がそがれる恐れが生じる。また、主務大臣は、六年ごとの中期目標の作成と実施計画、成果の報告を求め、それによって評価を行い、その評価に基づいて交付金を

重点的に配分しようとしている。その場合、以下のような疑念が生じる。創造的な営みにおいては途中で目標の変更が生じる可能性がある。専門性の高い業績を評価することは可能であろうか。短期間に成果を出すことを求められ、じっくり研究に取り組むことができなくなる。書類作成のために多大な労力を要する。また、地方の大学は、産学連携や寄付による収入を得るには不利な状況におかれているため、法人化は、大学機能の大都市集中を促進し、地方大学をますます衰退させることになる。それは地方分権と地方活性化を阻害することになる。

 そのような反対意見を押し切る形で、2004 年 4 月に全国の国立大学は法人に移行しました。それから 20 余年が経過した今、田中兄の危惧していたことがほとんど現実となっているように思われます。研究活動に限って言えば、研究の自由が狭まり、期限付きの雇用が増え、短期間に成果を求められ、かつ十分な研究費が得られないために、いわゆる頭脳流失が増加しています。研究と教育と書類作成で多忙を極める教授の姿を見ている学生は大学院に進むことを希望せず、若手の研究者が育っていないと言われています。今後、日本からノーベル賞級の研究者は出ないであろうと予測する人もかなりいます。ノーベル賞のことはさておくことにしましても、教育・研究は国の将来の発展を左右する重要な要因です。4 月 29 日付けの朝日新聞のインタビュー記事で、トマ・ピケティ氏も、アメリカの黄金時代をもたらした高成長は、「米国が地球上で最も教育・研究に力を入れた国であったからだ」と述べています。トランプ氏は、今、黄金時代の再来を言いつのりなが

ら、アメリカの教育・研究の予算を削減し、研究の自由を制限しています。そして、一層の衰退を招き寄せようとしています。愚かなことです。

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