わたしを食い尽くす熱意
- admin_ksk
- 2025年12月31日
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2025年10月19日主日礼拝説教 山本精一
聖書 ヨハネによる福音書第2章13~22節
ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。
今朝は、ヨハネ福音書に記されているイエスの宮潔めの記事を見て参ります。ここでのイエスの行動は、一読して明らかな通り、息を呑むほどに激越なものです。しかしながら、かくも過激な出来事であるのにもかかわらず、この出来事については、ヨハネによる福音書のみならず、他の三つの共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)いずれもが本文中にその記事を書きとどめています。その事だけを取って見ても、この出来事が、福音書記者たちにとってどれほど強烈な印象(インパクト)を与えていたのか、その事が暗黙のうちにも伝わってきます。しかも、そのような強烈な印象は、一人彼らだけのものではありません。この記事を読む者にとっても、いつの時代であれ、その印象が強烈であることに変わ
りはありません。
ところで、ヨハネによる福音書は、この記事を本福音書本文の冒頭部とも言うべき第2章で、カナの婚礼の記事の直後にすぐ続けて記しています。それに対して、共観福音書では、何れも冒頭部にではなくて、後半部に、大きく言えば、イエスの受難物語へとつながりゆく文脈中にこの記事を配しています。その点、ヨハネによる福音書のこの記事の冒頭部への配置は、ヨハネに独自のものだと言わねばなりません。そこには、ヨハネによる福音書が、カナの婚礼でのイエスの言動、そして、宮潔めをなすイエスの言動のうちに、それぞれイエスその人の全生涯を貫く何か並々ならぬものを見とっており、それあるがゆえにこれらの記事を敢えて冒頭部に置いているのではないか。そのような推測の余地も残されます。何れにせよ、共観福音書とは異なるこの記事の配置の仕方には、この出来事に対
するヨハネによる福音書記者独自の受けとめ方が関係していることは確かな事だと思われます。
それでは一体、ヨハネによる福音書は、この冒頭に置いたイエスの出来事のうちに何を見とっているのでしょうか。そして読者たるわれわれに対して、この出来事に関して、何を心して見よと迫っているのでありましょうか。何よりもその点に心を留めて、今朝の箇所に、迫ってみたいと思います。
今朝の物語の舞台は、「神殿」です。その「神殿」とは、ユダヤの民にとっては唯一無二の神殿であったエルサレム神殿のことを指しています。初めに、そのエルサレム神殿の歴史を大まかに振り返っておきます。
それが最初に建てられたのは、ダビデ、ソロモンの時代でありました(第一神殿)。しかしその第一神殿は、後に、バビロンの王ネブカドネザルの侵略によって、徹底的に破壊され灰燼に帰します(紀元前586 年)。それからほぼ50 年間にわたって、当のユダヤの民のうちの有力な者たちが、その侵略国バビロンへと強制連行され、その異国の地バビロンで捕囚の民としての生活を送らねばなりませんでした(バビロン捕囚)。しかしそのバビロニア帝国もまた、新興勢力たるペルシヤ帝国の王クロスによって滅ぼされます。勝利を収めたその王クロスは、捕囚の民に対して、寛大にも、故国ユダへの帰還を許可します。
帰還を果たした民は、祖国滅亡という険しい現実の中にあって、しかし優れた指導者たちのもと、自分たち亡国の民をぎりぎりのところで支えるものとして、律法というものにあらためて精神と生活を集中していくという、律法への新たなそして全面的な回帰に徹する道を歩んでいきます。
かくして律法への崇敬を基軸に据えた律法宗教によって、民族精神の昂揚・徹底が図られます。そしてそのような律法宗教(ユダヤ教)の中核的宗教施設として、神殿の再建が企てられていきます。その全体的な気運のもと、神殿は再建されます(第二神殿)。さらにそれから後の時代に下って、その神殿は、イエスの時代のユダヤの王であったヘロデによって改修されます。それは、ヘロデが、ユダヤの民の歓心を買うべく画策したものでした。その結果、その改修された神殿は、ヘロデの贅沢趣味も手伝って、絢爛(けんらん)豪壮(ごうそう)にして威容を誇るものとなりました。20 節で「この神殿は建てるのに四十六年もかかった」と言われているのは、このヘロデによる大々的な神殿改修事業のことを指
しているものと思われます。
何れにしろ、この様にして、歴史的苦難、歴史的変遷を重ねながら、律法宗教としてのユダヤ教の成立・展開と歩みを共にしつつ、エルサレム神殿は、捕囚後のよるべなきユダヤ人の宗教的・民族的アイデンティティーの最も重要な拠り所となっていきました。彼らにとって、エルサレム神殿は、以上の意味において、国民生活、宗教生活の中心を占めるものでありました。
ところで、そのエルサレム神殿は、イエスにとっても、格別に重要な場所でありました。今朝の聖書箇所でも、イエスは、このエルサレム神殿で祝われる、ユダヤの三大宗教祭(宗教的行事)の一つである「過越祭」に参ずるべく、ガリラヤから(2:11、12)エルサレムへと上って行ったということが、出だしとなる13 節に記されています。亡国の民であるユダヤ人たちが、エルサレム帰還の後、エズラ、ネヘミヤといった指導的人格のリーダーシップのもと、これからは、律法を中心にして一致団結して、国はなくともユダヤ人としての明確な自覚をもって生きていく。そのようにして律法を新たに民族の中心に据えていくという刷新的な気風のもとで、ユダヤ社会の人々は、それぞれの住まうところからエルサレム神殿に詣でるということに、格別の意義を見出していきました。しかもそうし
た神殿崇敬の念は、エルサレム以外のユダヤ諸地方、さらにはディアスポラの地に生きるユダヤ人たちの間でも、その心情奥深くに広く根付いていきました。
イエスもまた、当時のそうしたユダヤの民族的・宗教的気風というものを、幼少時より、両親や周囲の大人たちの神殿に対する姿勢の端々から、空気のように存分に吸い込んでいたに違いありません。しかしながら、イエスの場合、それはまた、そうした人々の気風をそのまま丸呑みにするということとは決定的に違っていました。
ルカによる福音書は、少年イエスが、既に、神殿を「自分の父の家」、すわち「わが家」と呼んでいたという消息を伝えています。
「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」
(ルカ福音書2:49)
それほどまでに、イエスにとって神殿とは、父なる神とイエス御自身がじかに繋がる場、
親しく交わる場でありました。神殿を「わが父の家なり」と言い切るイエスにとって、その神殿とは、神を真実に(真実のうちで)礼拝する場、霊的に(霊のうちで)礼拝をする場、そのようにして父なる神との交わりがなされる場以外の何ものでもありませんでした。その消息に立って、イエスは、神殿を「祈りの家」とも呼んでいます。その言葉は、後に見るように、預言者的伝統に深く根差した言葉でもありました。
それゆえイエスは、エルサレム神殿の、人を圧するような豪壮な作り構えにも、またその神殿のなかで重々しく祭儀を取り仕切る祭司階級の威厳に満ちた姿にも、さらには各地各所から集まってくる巡礼者たちの宗教的熱気にも、何一つそぞろ気をとられることはありませんでした。イエスにとって神殿とは、徹して、「わが父なる神」と霊と真実において出会う場、それに一切が集中していました。
かつて研究年期で一年間ドイツに滞在していた時、ある一人の日本人留学生と知り合いになりました。彼は西洋史、とりわけ宗教改革の時代を研究テーマにしており、その時点で既に五年以上彼の地での研究生活・学生生活を続けていた人でありました。知り合ったときは、ドクター論文に取りかかっている最中とのことでしたが、様々な社会事情にも
よく通じた、聡明にして、明朗闊達な青年でありました。その彼から、あるとき次のような話を聞きました。遠いアジアから来ている自分のような留学生にとって、ヨーロッパで迎えるクリスマスシーズンには中々きついものがある。というのも、その時期になると、ドイツはもとより欧州各地からの留学生たちはみな、ホームクリスマスを迎えるべく、尻に帆掛けて故国の家族のもとへと帰って行く。すると下宿先の学生寮は自分一人きりとなり、がらんとした寮に一人ぼっちでいると、寂(さみ)しさがひしひしとこみ上げてくるというものでした。
なるほどと思いながら聞いていると、彼は続けて、しかしあるとき、イタリアのミラノから来ている同じく留学生の友人が、クリスマス休暇の時期、その実家に彼を招いてくれた。その友人の暖かな親切心は身に沁みた。そしてその御家族にお世話になった事々を話してくれた後、彼はおもむろに、その折に、有名なミラノのカトリック教会の大聖堂(ドゥオモ)を訪ねたときの感動を語ってくれました。
自身の研究との関連で、ヨーロッパ各地で様々な聖堂や遺構を色々と見て回ってきたが、そのとき初めて見たミラノの大聖堂は、聞きしに勝るものだった。自分はその威容に心底圧倒され、しばし言葉も出ないほどの感動に打たれて佇(たたず)んだ。自分はプロテスタントの信徒だが、そして軽薄に思われるかもしれないが、そのとき思わず「カトリックに改宗しようか」との思いさえ、心の底に動いたというのです。彼のその思いを聞きながら、私は、この人にして、豪壮な大聖堂という建築物(もの)を目の当たりにして心が深く揺り動かされたという事、そのことをそれこそ驚きつつ聞いた事でありました。それは、確かに、われわれの場合にも何かの拍子に十分に起こり得る事です。それほどに、建
築や芸術というものには不思議な力が宿っています。それに心打たれるということは、それとして、一つの尊い人間の心霊上の事実です。
こうして「軽薄に思われるかもしれないが」と言いつつも、そのことを率直に打ち明けてくれた彼に対して、その時私は敬意をおぼえたことでした。しかしそれと同時に、宮潔めのイエス、すなわちそうしたわれわれの心のあり方をも徹底的に突き破っていくイエスの烈しさにも思いをいたしたことでもありました。そのイエスの姿から発する、われわれに語りかけてくる信とは、いかに素晴らしい建築物であろうとも、そしてその素晴らしさにじじつ賛嘆の念を献げることがあろうとも、しかしここでのイエスは、そうした心のありようにわれわれを留まらせることなく、つまるところ、こうした建築物(もの)への信を
も突き破っていく信、すなわちイエスその人への信、そしてこの御方の透徹した神信仰から贈り与えられてくる信、そしてその信に徹するという恐ろしくシンプルな一事でありました。彼のその告白を聞いた時思い起こしたイエスとは、その事を問いかけてくるイエスであったのだと今にして思うことです。
テクストに戻ります。それでは、このときのエルサレム神殿の実態とはいかなるものであったのでしょうか。それが14 節に簡潔に記されています。そこには、律法の諸々の規定に従って、神殿で捧げるべき犠牲用の動物を売っている人々、あるいはディアスポラの地からはるばるやってきた巡礼者たちが神殿で献げる献金を外国通貨からユダヤ通貨へと両替する人々、それらの商売を営む人々が、祭司公認のもと「神殿の境内」でそれらの礼拝行為に集まってきた人々に対して金銭と引き換えに便宜を図っていたということが記されています。宗教的聖域には、洋の東西を問わず、古来、善男善女が各所から大勢集まってきます。そして人が集まるところには、やがて必ずや市が立ちます。この国でも往時より門前町というものが数多ありました。そこでは様々な生業(なりわい)が営まれ、そのよ
うな門前町の名残りは、今もなお各所に残っています。
そのようなこの国の門前町風情をも念頭に置きながら、エルサレム神殿のただなかでイエスがとった行動に目を凝らすとき、あらためて、その尋常ならざること、あるいは常軌を逸したることの甚だしさにたじろがざるを得ません。われわれは、イエスのそのような並外れた激情の発露に、ここで直面しています。これに面喰わぬ者は一人としていますまい。
そうした激情に駆られたイエスの荒ぶる姿は、常識の枠を遥かに超え出ています。その非常識なまでに激したイエスの姿を福音書中に書き残すと言う事自体、見方によれば、イエスの人品を十分に貶(おとし)めうるものです。しかしその危うさにもかかわらず、ここで激昂(げっこう)するイエスの姿を四福音書はすべて(但しルカの記述はややマイルドですが)敢えてというほどに書き残しています。しかしそれだからこそかえって、それがイエス御自身その時とった行動であった可能性は高いと言わねばなりません。それでは、一体なぜイエスはここでかくも激烈なる行動をなしたのでしょうか。何が彼をそのような激情に突き動かしたのでしょうか。
イエスはまさしくこの振舞いの渦中にあって、犠牲用の「鳩を売る者たち」に対して、二つの命令を発しています。一つは、
「このような物はここから運び出せ。」
であり、今一つは
「わたしの父の家を商売の家としてはならない。」 (16)
という命令でありました。これら二つの命令の言葉は、他の三福音書には出てきません。
それゆえこれら二つの命令文は、ヨハネ福音書特有の文言です。
しかし同時に、これらはそれだからと言って、ヨハネのみが伝えるイエスにオリジナルな、特ダネ的な言葉であった訳でもありません。否、そこには旧約預言者の言葉が幾重にも谺(こだま)しています。三箇所見ておきたいと思います。
わたしは彼らを聖なるわたしの山に導き
私の祈りの家の喜びの祝いに
連なることを許す
· · · · · ·
わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。 (イザヤ書56:7)
わたしの名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか。
そのとおり。わたしにもそう見える、と主は言われる。 (エレミヤ書7:11)
その日には、万軍の主の神殿にもはや商人はいなくなる。 (ゼカリヤ書14:21)
こうしてイエスの神殿に対する姿勢には、過去の預言者たちの精神が脈々と流れ込んでいます。言い換えれば、このイエスの激情のうちには、イザヤ、エレミヤ、ゼカリヤと言った旧約預言者たちの霊的伝統が実に烈しく脈打ってもいます。ヨハネはその両者の時代を超えた深い繋がりに心を留めています。
しかしそれにしても、このとき、イエス以外の人々は、なぜ一人として当時のエルサレム神殿の金満馴れ合い体質に対して憤激の声を上げていないのでしょうか。彼らがイザヤ、エレミヤと言った預言者的伝統を知らなかったはずはありません。しかしじっさいのところ、それを知っていたとしても、話半分で受け流すということが人々の間に広がっていたということを、その黙認は示しています。
当時、神殿の境内、すなわち神域内には、「異邦人の庭」と呼ばれた広い一区画があり、そこでは、神殿祭儀と結びついた商業活動が黙許されていました。それらは、神殿で犠牲や献金を献げる事と結びついた、そのために必要な商業活動として、そもそも祭司たちによって認められていたという訳です。しかし、そこで得られる莫大な商業的利益は、当然祭司たちの懐にも入っていきます。こうして神殿の神域が、人間の理屈によって二分され、両者、すなわち宗教的礼拝祭儀と経済的利益を得ること、この二つがべったりと一体となっている。しかしその事態を、イエスを除いて誰一人不審には思わなかった。それほどまでに、この神殿商売は当然視され定着していました。
しかしその神殿の実態のうちに、イエスは、「父の家」を人間の打算が取り仕切っているということ、その根底に人間の秘かなる欲得づくめの割り切りがあるということ、その事を狂おしいほどに感知しています。祭司、商人、宮詣での民、彼ら全員が数珠つなぎとなって、律法の決め事を錦の御旗にした神殿ごっこが営まれている。しかもそれが人々によってかくも唯々諾々となされている。しかしその実態を一皮むけば、それは「神の家」ならざる「商売人の家」となっている。そこでは、祭司は四海同胞みな安泰との祝詞(のりと)を挙げつつ肥え太り、詣でた人々は汚れをはらい落してもらったと清々(せいせい)と
した表情で帰っていく。万事めでたしめでたしの神殿宗教の現実。その一切が、「これわが父の家なり」と全身全霊を挙げて告白するイエスの憤激が向かうところに他なりませんでした。
ここには「神を礼拝する」とはいかなる事なのか、神殿とはいかなる場所なのかということに対する、イエスの透徹した信の姿勢があるということ、そのことをわれわれは、
「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」 (マタイ福音書6:24)
というイエスの今一つの言葉とともに、畏れを深くしてそして掛け値なしに聞かねばなりません。
このイエスの姿を、後に反芻(はんすう)したとき、弟子たちは、旧約詩編69 編の言葉「あなたの家を思う熱意が私を食い尽くす」を「思い出した」(17)と、ヨハネは記しています。ここでの引用詩篇の全文は次のようなものです。
あなたの神殿に対する熱情が
私を食い尽くしているので
あなたを嘲る者の嘲りが
わたしの上にふりかかっています。 (69:10)
この箇所をいきなり読むと、われわれには少し分かりにくい感がいたしますが、しかしこの引用詩篇を、翻って、イエスの受難と死という出来事から読むとき、その謎めいた引用文は、宮潔めのイエスに対して、俄かに新たなる光、恐るべき光を当て始めます。
この宮潔めをなすイエスの姿に直面したとき、弟子たちも恐らく深く戸惑ったはずです。彼らは内心呟(つぶや)いたことでありましょう。なぜ先生はかくも度外れた振舞いをするのか、何もそこまでしなくとも、それでは身に危険が及ぶではないか、と。しかしそれに対して、ヨハネは力を込めて語ります。
この神殿、すなわち「わが父の家」に対するイエスの激情=熱情は決して中途半端なものではない。いやむしろそれは、イエス自身を「食い尽くす」ものであったのだ。すなわちそれはイエスを受難、十字架へと追いやるものであったのだ。じっさい十字架への道行きにおいて、イエスは唾(つばき)され嘲(あざけ)られたではないか。その受難の出来事から、この宮潔めのイエスを振り返ったとき、それはすでにイエスが引き受けた使命、すなわち十字架の死にイエスが食い尽くされたことを烈しく指し示す振舞いそのものだったのだ。その畏れに満ちた驚きのなかで、弟子たちは、振り返って宮潔めのイエスの姿のうちに、この受難の詩篇を「思い出した」のだ。ヨハネはそう語っています。こうして今この
時の神殿でのイエスの激烈な振舞いのうちに、ヨハネ福音書記者自身、受難の詩篇の言葉の深い闇、十字架と復活の桁外れの闇と光が、過去と現在とを貫いて二つながらに射し込んできているのだということ、それをこそ弟子たちとともに、この記事を記しつつ、ヨハネ自身ともに後から「思い出した」というところに立っているのだと思います。
さらに22節の「思い出した」にも、この消息が一貫しています。その事を見ていくにあたっては、先ず18節でのユダヤ人たちの、イエスに対する怒気を孕(はら)んだ詰問を見ておかねばなりません。
「お前は、こんなことをするからには、どんなしるしをわれわれに見せるというのか。」
それはまさに、神殿での先のイエスの振舞いに対して、「お前は何様のつもりだ」とにじり寄る暴力的・威圧的な問いかけでありました。そこには、イエスに対する根深い敵意が渦巻いています。しかし、何か奇蹟を見せてみろとイエスににじり寄るその要求の姿勢は、サタンの誘惑に始まり、イエスの全生涯をその時々に当たって襲い続けたものです。
しかしここでなされたイエスの驚くべき応答は、しるし=奇蹟を見るまでは決して信じないと凄むユダヤ人たちにとっては、まったく理解しえないものでした。
「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」 (19)
しかしヨハネ福音書記者は、このイエスの謎に満ちた言葉のうちに、今や深い意味を見出しています。それが21 節に語られています。
イエスの言われる神殿とは、ご自分の体のことだったのである。
ユダヤ人たちは、イエスの語る「神殿」という言葉を聞いたとき、当然のことながら、目で見える建物としてのエルサレム神殿の事しか考えていません。しかし弟子たちが、それはイエスの体であると悟ったとき、その「体」を「壊し」てみよ、それでも「三日で
建て直そう」とのイエスの言葉のうちにある「壊す」とは、イエスの十字架の受難と死、「立て直す」とはイエスの復活のことを指すものとなって彼らに迫ってきた。その事こそが、イエスの受難、十字架、そして復活を経験した弟子たちに起こったのだ。その弟子たちが、この言葉を「思い出した」のだ。
こうしてエルサレム神殿で捧げられている礼拝とはまったく異なる、新たな礼拝が今や始まった。すなわち、その礼拝の中心をなすのは、十字架に磔(はりつけ)にされ、死して葬られ、そして神によって甦らされたイエスなのだ。そうヨハネは告白しています。しかしその事は、宮潔めのイエスの激情ぶりに引きずられその表面的行動に撹乱されているユダヤ人たちにも、弟子たちにも、そしてわれわれにも、誰一人としてそれを理解することはまったくできなかった。しかしそのことをこそ、
イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。 (22)
神の栄光が宿る場は、もはや神殿ではない。その栄光は、ヨハネ福音書1 章のプロローグの讃歌が告白するように「われわれの間で肉となられた神の言葉なるイエス」(1:14)、
すなわち「わが父の家」なる神殿で、「縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒した」(2:15)御方に宿る栄光でありました。しかしその栄光は、そのときには、繰り返しますが、誰にもその欠片一つさえ分からなかった。
それは、まさしく、「イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた」、その時に始めて明らかとなった栄光であり、それに気づかされた者たちのなかに生まれてきた信でありました。
われわれにイエスの言葉を「思い出させる」もの、古の旧約聖書の預言の言葉とイエスの言葉とを今に重ねて信じることを得させるもの、そのような事が確かに起こったのだ。
その出来事、すなわちイエスの受難、死、復活にわれわれもまた与るとき、否それに然り(アーメン)と言って連なるとき、世の諸々の力に右顧左眄することなく、われわれもまた、
宮潔めのイエスのしるしの業に畏れを一層深くしつつ、そしてわれわれ自身まことの礼拝を呻き求めつつ、イエスの復活のいのちに生きる者とされるのだ。このヨハネの確信に満ちた証言に、今またわれわれも深く励まされ、礼拝の真実たるイエスに覚醒されつつ、このイエスの復活の命に与り、心して霊と真実の礼拝に生きる者にされて参りたく、切に乞い願うものであります。
最後に、今朝の箇所と深く響き合う、今一つのイエスの言葉を読んで終わりたいと思います。ヨハネによる福音書13 章7 節。文語訳で読みます。
わが為すことを汝いまは知らず、後に悟るべし




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