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神人となり給う

2024年12月22日クリスマス礼拝説教 山本 精一


聖書

ゼカリヤ書 第9章9~10節

娘シオンよ、大いに踊れ。

娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。

見よ、あなたの王が来る。

彼は神に従い、勝利を与えられた者。

高ぶることなく、ろばに乗って来る

雌ろばの子であるろばに乗って。

わたしはエフライムから戦車を

エルサレムから軍馬を絶つ。

戦いの弓は絶たれ

諸国の民に平和が告げられる。

彼の支配は海から海へ

大河から地の果てにまで及ぶ。


マタイによる福音書第1章18~23節、

イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。

このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。

その名はインマヌエルと呼ばれる。」

この名は『神は我々と共におられる』という意味である。


マタイによる福音書第2章1~3節

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」

これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。


 アドヴェントのとき満ちて、2024年のクリスマス礼拝の朝を迎えました。折しも今年のアドヴェントの時期に、私は本年12月10日に行われたノーベル平和賞授賞式でなされた、日本被団協の代表委員にして御自身被爆者であられる田中煕巳(てるみ)さんの受賞演説を再生動画によって視聴いたしました。その演説は、「思い起こし待ち望む」人、かつまた「義に飢え渇く」人が、残された力を注ぎかけて語る言葉として、私の胸底深くを打ち震わせるものでありました。


 田中さんは冒頭で、日本被団協の事を、「歴史上未曽有の非人道的な被害をふたたび繰り返すことのないようにと、二つの基本的要求を掲げて運動を展開」してきた団体だと紹介されました。その二つの基本的要求とは、一つは、日本政府の「戦争の被害は国民が受忍しなければならないとの主張に抗(あらが)い、原爆被害は戦争を開始し遂行した国によって償わなければならない」とする要求だと断言されました。この政府が主張する国民受忍論とは、国家が自ら行った戦争遂行の責任の一切を帳消しにするために錦の御旗として用いる言い分であり、かつまた何よりも被爆者、そして「国民」全般を「仕方がなかった」と黙らせるのに甚大な役割を果たしてきたものです。それに対して、日本被団協の要求は、この国民受忍論を根底から覆す、被爆市民の血肉化した思想と呼ぶべきものであって、この思想に立脚して国家の戦争責任を問い国家賠償を求める事を、世界に向かって宣言するものです。


 今一つは「核兵器は極めて非人道的な殺戮(さつりく)兵器であり人類とは共存させてはならない」という人類全体の存続に向けて発せられた普遍的な要求です。こうして、第一の要求は、原爆の惨禍の根底には、戦争の開始と総力戦体制を強制した国家の責任が厳在しているという事を明確に打ち出し、第二の要求は、人類という普遍的レベルで、核兵器との共存を根本から否定した思想であり要求です。この二点を見据えた言葉の根底には、何よりも、被爆者である市民の飢え渇くような正義回復の要求が、烈しく息づいています。


 しかし現在、「ウクライナ戦争における核超大国のロシアによる核の威嚇、また、パレスチナ自治区ガザ地区に対しイスラエルが執拗に攻撃を加える中で核兵器の使用を口に

する(イスラエルの)閣僚が現われ」ている事への、胸をかきむしられるような危機感のうちで、田中さんは「限りない悔しさと憤りを覚えます」という言葉でその胸の内を吐露されました。


 その演説が半ばまで進んだところで、田中さんは、戦後、日本政府から原爆死者に対する償いは一度たりともなされてこなかったと、二度にわたって、しかもその二度目には原稿から目を上げ、聴衆へと面差(おもざ)しを向け直して、恐らくこれまでの受賞演説のなかでは異例の事ではないかと思われる言葉「もう一度繰り返します」を発せられました。私はぎょっとして、その一語に聞き入りました。その言葉は、満堂の聴衆が列席する式典会場の壁を突き破り、祖国日本政府の戦後79 年にわたる国家的不作為・無応答・原爆死者への国家補償の拒絶という事実を見据え、その一点目がけて発せられた言葉でありました。「しかし、何十万人という死者に対する補償はまったくなく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けております。もう一度繰り返します、原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府はまったくしていないという事実をお知りいただきたいというふうに思います」。

 この演説には、米軍機による広島への原爆投下の三日後、人類史上二回目の原爆投下による極限的惨禍を長崎で経験した中学一年の田中さんの、言語を絶する被爆経験が刻み込まれています。それは、被爆による人間の、生命すべての、未曽有にして取り返しのつかない全面破壊の記憶を身心に灼きつけられた経験であって、その時から79年にわたって、核の狂気に苦しみそして抗(あがら)い続けてこられたそのご生涯の歩みがそこには深く刻み込まれています。それとともに、「核抑止論」の非人道性、反生命性が指弾されています。植物・動物・人間の生命の瞬間的無差別殺戮、すなわち地球のみずみずしい生命圏を根本から破滅へと向かわせていくという「核の冬」を「核抑止論」はあえてまったく顧慮しないというその感覚麻痺、その上で、核兵器使用を必要悪という言葉で一方的に正当化し、取り返しのつかない苦しみと死という被爆者の現実から意図的に目を逸らすという偽善、そのサタン的な倒錯をオブラートで包んだ「核抑止論」を盾にして、核保有国の為政者とその軍事的・経済的取り巻きが核兵器の保有・開発・配備の一切の権限を独占的に握り続けているという事。これらの事々に対して、すなわち「核の狂気」(大江健三郎)に憑(と)りつかれたこのわれわれの世界に対して、しかも核兵器使用を恫喝的に口にする独裁者の存在に端的に現われているいま現在の世界の状況に対して、被爆者として一貫して抵抗し続けてきた田中さんの、「限りない悔しさと憤り」が、無限の悲しみを宿して、怒涛のように波打っています。

 それは、無数の生命が一瞬にして全面無化されるという事実、「人類が核兵器で自滅する」姿をすでにあのとき肉眼で見てしまった、いや見させられてしまった人の、腸(はらわた)の底から発せられている言葉です。それは、核抑止論を振り回す人々に向かって、真正面から回心を迫る言葉です。「もう一度繰り返します」「限りない悔しさと憤りを覚えます」。これらの度外れた言葉が、どれほどの重みと深さと広がりをもって語られているのか。その事を、田中さんの柔和にして厳粛な面差しとともに、私は自らのうちに刻みつけねばならないと感じています。なぜなら、現在のそしてこれからの世界史的危機の中で、私自身、この言葉によって自らの歩みが釘刺され正されていかねばならないと痛切に思わしめられたからです。


この演説には、原爆の、そして原爆による放射線障害の犠牲となった国内外の人々の叫びが、あるいは熱線と爆裂風によって一瞬にして蒸発消滅させられた人々の無告の声が、さらには核実験による深刻な健康・環境破壊に晒(さら)され続けてきた世界の人々の「人間を返せ」という慟哭(どうこく)の叫びが、何重にも何重にもこだましています。のみならずそこには、フクシマの制御不可能となった原発破綻の犠牲者の方々の、そして犠牲となったもの言わぬ生きものたちの無告の叫びもまた重なり合っているのだという事を私は肝に銘じています。それらの声が、地の底からの叫びが、この人を通して、この人とともに、この人を超えて、世界に向けて発せられたという事。それが2024年12月に、ノルウェーのオスロで起きたという事、原爆被爆国そして原発被曝国に生きる者として、私は、この田中さんの、世界の最後的な破れ口に立って訴える言葉の前で、このような創造的少数者たちと同時代に生かされているという事に、そしてその恐るべき恵みと責任とに身の震えをおぼえます。その震えのなかで、この田中さんの訴えに対して、自ら「然りか否か」を明確にして応答していかなければならないとの思いを一層深くさせられています。


田中さんは、この演説の冒頭あいさつに続けて、核兵器の狂気がいかなるものであるのかを、ご自身の言葉で、ご自身の経験に即して語っておられます。しかしそれはまた、これまでに語られてきた被爆証言、さらに今ご自身の人生の終わりを見据えて呻くようにして各地で語られている被爆証言、それら無数の証言の大きな環に連なる一つです。それは、核抑止論からの覚醒を、犠牲者たちの地の底からの無告の叫びと一体となって、この世界に向かって呼びかけているものです。田中さんの語りは、終始、被爆者たちの戦後の歩みを身に帯びているものでありました。その筆舌に尽くしがたい苦しみと、そのなかにあって懸命に続けられてきた核なき世界に向けてのこれまでの人々の切なる訴えを内に響かせながら、ご自身の生の終わりを見据えつつ語られたものです。それは、2024年の世界史的危機のなかで、風に揺らぐ葦の如く、ほの暗い燈心のごとく動揺・浮遊する者たちに向かって、そしてこれからやって来る次の世代に向かってただ一度語りかけられた、人間を正気へと覚醒させる遺言であり証言であり呼びかけでありました。

 

しかし世界は、変わることなく核兵器と核(=原子力)発電に呪縛(じゅばく)されています。この国の政府は、つい先頃、エネルギー政策の柱とする文書の中から、福島での原発破局以後、とにもかくにも形の上で残してきた「原発をできるだけ削減する」という文言を、電力会社、さらには経済界の強い要請を受けて、遂に削り落としました。それは、フクシマの原発犠牲者たちの歴史を、ほんの13年余りで、何事でもなかったものとする歴史抹消という暴力を、今回、国家として前面に打ち出したという事を意味します。


 ところで、京都市仏教会が、北陸新幹線の京都までの延伸に対して、「千年の愚行」と抗議の声を上げたという事をつい一昨日知りました。これが着工されてしまうならば、多数のトンネル掘削工事が必要となり、それがこれまでの安定した地下水系に甚大な影響(水位の低下・枯渇・汚染そして残土の有害物質)を及ぼす事を座視することはできないと、代表者の僧侶が発言しておられます。そこには、仏教徒として「水」そして水に育まれる生きとし生けるものの「いのち」への深い慈悲の感覚が息づいています。その仏教会の抗議の声に敬意を込めつつ、「千年の愚行」という彼ら仏教者の言葉に心を留めるとき、今この国が駆け込み再開のための態勢づくりに狂奔している原発回帰は、例えばその核燃料廃棄物の半減期に十万年を要するという、およそ人間には思い描く事さえできない歳月のなかに一切を掃き捨てる「十万年の愚行」、「十万年の無責任」に再び出戻ろうとしている所行だと言わねばなりません。私はそこに、原発を推進する人々の、いのちへの責任感を全面的に喪失した、原発ニヒリズムの深い闇を見ます。


 以上、田中さんの言葉に心打たれるがままに、核をめぐる問題について触れてきましたが、その身を切り裂くようにしてわれわれに、そしてわれわれの時代に発せられた呼びかけを心の内に刻みつつ、そこからイエス降誕の出来事へと向かって参りたいと思います。その際、イエスとはいかなる御方だったのかという事にこそ深く心を向けて、その事から、このイエス到来の出来事によってわれわれ一人一人に、そしてわれわれの時代に贈り与えられているものに確と心のを上げて、闇のなかにあってなおその闇に屈してはならない、いや屈する必要はないのだとの、クリスマスの圧倒的解放の音信に与(あずか)って参りたいと思います。そして最後に、田中さんをイエスはどれほど祝福されておられるのかという事へと思いを潜め、この時代の証人の姿のうちに打ち込まれている主イエスからのわれわれへの招きについて考えてみたいと思います。先ず初めに、先ほど司会者にお読み頂いた、マタイによる福音書のクリスマス記事の中に出てくる、東方の博士たちの事に触れておきたいと思います。


 マタイによる福音書は、イエス降誕の出来事は、パレスティナの一角ベツレヘムで起こったと記しています(2章1節)。それに続けて、婚約者マリアが自分との結婚前に孕(はら)んだということに懊悩(おうのう)するヨセフが、マリアとの結婚から秘かに身を引こうと「決心した」という事が記されていきます。その深い懊悩と不安の中にあるヨセフに、夢のなかで御使いが現われます。そして眠りのうちにあるヨセフに


「マリアの胎の子は聖霊によって宿った。……その子をイエスと名付けなさい。」 

(1章21節)


と語りかけます。その「イエス」という名は、「主は救いなり」という意味をもつ名です。

それは、一面、当時のユダヤ社会においては極めてポピュラーな名でありました。しかし御使いは、このみどりごの名に関して、決してポピュラーではない、天来格別の意味があることをヨセフに明かします。それを示すのが、この子は


「自分の民を罪から救うからである。」 (1章21節)


という一句です。こうしてイエスという命名=「おのれの民をそのもろもろの罪から救う者」(1章21節、協会訳)は、諸々の民の「罪からの救い」という神のみわざの決定的始まりを予言するものとなっています。


しかもマタイ福音書は、このイエスという名に加えて、さらに、「インマヌエル=神われらと共にいます」という名を呈示しています。イエスの事を、この「インマヌエル=神われらと共にいます」という名で呼ぶところは、聖書中ここだけです。それゆえ、イエスをインマヌエルと呼んだのは、この箇所の下敷きとなっている預言者イザヤの言葉(イザヤ書7 章14 節)の「実現」(1章22 節)として、イエスをマタイが受けとめたという事、すなわちイエス降誕を預言者的伝統のもとで受けとめたという事、その事が、「インマヌエル」という呼び名には深々と刻印されています。マタイは、こうしてイエスのうちに預言者の霊的伝統との深いつながりを見取っています。それは、クリスマスの出来事が、すなわちイエス到来という事が、ユダヤの歴史を貫いて深く待望されていたという事を告げるものであり、とりわけ預言者的伝統と深く繋がるものであったとの受けとめを示すものに他なりません。


 かくして「神われらと共にいます」とは、この預言者の待望と指し示しのもとで、遂に神が人となり給うたという奇蹟によってその待望が「実現」したという事の、畏れと驚きとに満ちた証言だと言わねばなりません。インマヌエルとは、神が人となり給うた、そして、その人となり給いし神が、人のなかに、世界のなかに、歴史のなかに入り込み、生きて働かれる時が遂に来たという事への畏れと歓喜に満ちた証言と讃歌、すなわち、賛美と感謝に満ちたイエス証言にしてイエス讃歌なのだという事に深く心を留めたいと思います。かくして、この「インマヌエル」の奇蹟をここで語るマタイの畏れのうちには、同時に、その生きて働くインマヌエル=イエスの出来事が遂に成ったという事への喜びが満ちあふれています。


 マタイはそれに直ちに続けて、「学者たちが東の方からエルサレムに」(2章1節)来たと記しています。この東方の学者たち=博士たちは、明らかにユダヤ的な伝統とは異なった東方の人、すなわちユダヤ人から見ての異邦人です。恐らく、優れた占星術や天文学の学問的伝統のあったバビロニア地方の賢者たちであったのではないかと思われます。彼らは、ユダヤとはまったく異なる伝統のなかで、それぞれの学びを深めていった人たちです。その彼らが、その学問研究に打ち込み、そしてその学問の成果を善用して、星を見て「ユダヤ人の王」の誕生ということを知ります。さらにそれのみならず、その王に謙遜の限りを尽くして「拝みに来た」(2章2節))というのです。博士たちは先ず、ユダヤの中心地エルサレムにやってきます。しかしその地を支配していたのは、骨の髄まで権力欲と猜疑心の虜となっていた王ヘロデでありました。彼はそのユダヤの王の地位に上りつめるまでに、パレスティナの地域一帯の支配者であったローマ帝国の高官たちの歓心を買うために賄賂をなりふり構わず用いた人であり、あるいは政敵に対しては暗殺を指示実行し(暗殺は肉身や実子や妻にさえ及びました)、反対者と見るやその人を無慈悲に徹底的に弾圧する、およそ狡猾にして強権的な独裁者でありました。


 そのヘロデに、事情を知らぬ東方の博士たちは、邪心なく尋ねます。しかし、そのときの「生まれ給うたユダヤ人の王はどこにおられるのですか」との彼らの言葉は、ヘロデをただちに不安と疑心暗鬼の暗い渦の中に投げ込みます。こうして彼は、自らの王としての地位を脅(おびや)かす者がユダヤのどこかに生まれたという事に恐怖して、「ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた」(2章16節)という獰猛(どうもう)残虐な凶行に及びます。

 こうしてマタイのクリスマス記事を振り返るならば、イエス誕生という事を、物語として、先ず東方の博士たちの喜びに満ちた来訪と彼らの謙遜な礼拝という話へと直続させ、さらにその博士たちの尋ね求めによってヘロデの不安と恐怖が激発され、二歳以下の男子虐殺という凄惨な出来事への暗転へと、これまた直続させています。これら三つの記事の一連の繋がりを、われわれは深く思いみる必要があります。何故クリスマス物語のなかに幼児集団虐殺が書き込まれねばならないのか、と。楽しく明るいクリスマス物語に仕立て上げたいのなら、このような事をよりによってこの箇所に書き込むことは決してしないでしょう。しかし、一度起きた人間の歴史的現実は、抹消することはできません。


 じっさい、この幼児虐殺とは、人間の歴史のなかでこれまでどれほど起きてきた事なのでしょうか。何よりも今、パレスティナで、ウクライナで、そしてこの現在の世界のなかでどれほど起き続けている事でありましょうか。マタイの幼児虐殺の記事は、この人間の、否、現在のわれわれの歴史的現実に深く繋がっています。すなわち、人間の歴史は、今の今に至るまで、この残虐獰猛を繰り返し続けています。マタイはその人間の歴史的現実に対して、深い痛みをもって向き合っています。彼は、ヘロデの幼児虐殺という伝承から目を逸らさなかった、いや逸らせなかったのだと思います。


 しかしながら、イエス降誕とは、まさしくそのようなわれわれの歴史的現実のただなかに到来した「神 人となり給う」出来事であったという事、その事をマタイは、さらにいっそう叫ぶが如く、イエス降誕、東方の博士たち、幼児虐殺を、ひと続きにして伝えています。


 東方の博士たちの来訪と問い尋ねとは、生粋のユダヤ愛国主義者たち、あるいはエルサレムというユダヤ社会の中枢にいた多くの人々の目には、まことに胡散(うさん)臭く不穏な異邦人の振舞いと映っていたかもしれません。しかしこの事を逆に言うならば、諸々の民の罪からの救いのために到来した御方の事を、驚きをもって知り、その驚きをもって自分たちの方から最初に出会おうとしていった人々とは、ユダヤの民ならざる東方の博士たちであったとマタイが語っているという事になります。それは、まことに含蓄深い事であります。なぜならそれは、クリスマスの出来事、イエスの到来という出来事は、その初めの一歩のところからして、国籍、民族の枠を超えた神の恩寵の出来事であるという事を指し示しているからです。

 しかし逆にそれは、ヘロデを筆頭とするユダヤ社会の中枢を占める人々にとっては、かえって自らの地位を根底から覆す、自身の失墜への不安と恐怖を掻き立てる躓きの出来事となっていったのだという事をも、マタイは確と書き留めています。ここに起きている事は、まさしくマリアの讃歌(ルカによる福音書1章4~55節)の内容そのものです。イエスご降誕は、かくして恩寵にして審きの出来事として、人間の歴史の闇に贈り与えられています。


 東方の博士たちが尋ね探したユダヤの王とは、剣を振りかざし軍馬にまたがって到来される御方ではなく、ゼカリヤ書が預言するように


見よ、あなたの王はあなたの所に来る。

彼は義なる者であって勝利を得、

柔和であって、ろばに乗る。

すなわち、ろばの子である子馬に乗る。 (9章9節bc、協会訳)


御方でありました。

 この御方は、その終りの時を前にして、博士たちが最初にたどりついたエルサレムに、ろばの子に乗って入城されました(マタイ福音書21 章5~8 節)。「ろばの子に乗って」とは、「自分の民を罪から救うため」、そして何よりも「この私を罪から救うため」、十字架へと自ら進んでいかれた御方の、十字架の終わりを前にした姿でありました。その時、ゼカリヤ預言が、「彼は……柔和であって、ろばに乗る」と語っていた事に深く心をとどめたいと思います。


 支配欲に駆り立てられた者たちが、人間を非人間化する暴虐に血道をあげ、不義不法状態を地球的規模で作り出している今この時に柔和であらんとするという事は、最も深いところで一つの闘いとなります。しかしそのとき、声を荒げることなく、しかし決して退くことなく、核廃絶を待望・希求してきた92 歳の人の姿に、私は、このろばの子に乗ったイエスとの同行二人の道行きの姿を重なり見ます。なぜならば、そこには、今現在われわれにありありと示されている柔和というものの一つの犯しがたい姿、ろばの子に乗ったイエスがその人の前をそして後ろをともに歩む姿、その姿が示されていると思うからです。


 その姿は同時に、「義に飢え渇く者」の歩む姿でもあります。それがどんなに不可能な事に思えようとも、田中さんは既にその道を不退転で、一歩また一歩と歩み抜いてこられました。ここに私は「後なるものが先に」という言葉の一つの生きた実証を見ます。時代の最後尾に追いやられ続けながら、しかしこのわれわれのはるか先をゆく田中さんの歩みの前を、そして後ろを、ともに歩かれる十字架の主イエス。そのイエスがこのわれわれの世をこそめがけてお生まれになった。その方の到来を新たに思い起こす日、その日を、われわれはその方ゆえに決して古びることのないビジョン、死と絶滅とに脅かされた時代のなかにあって、その方が切り開いた一筋の狭く細いいのちの道を歩みゆく者のビジョン、望みなきなかでその方ゆえに待望し続ける事がゆるされるというビジョン、その生けるビジョンを与えられた日として、まさにその一点ゆえに心から喜び感謝し賛美しつつ、来るべき時に備えて、祈り励まし合いつつ進みゆく群れたらしめられたいと思います。

 最後に、そのようなわれわれに主イエスが与えてくださった、終わりのときを見据えた約束にしてかつ祝福の言葉を全身に受けて、今朝の説教を終えたいと思います。


幸福(さいはい)なるかな、柔和なる者。その人は地を嗣がん。

幸福(さいはい)なるかな、義に飢ゑ渇く者。その人は飽くことを得ん。

(マタイによる福音書5章5~6節 文語訳)



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