top of page

主よ、来たりませ

2024年12月1日主日礼拝説教  山本 精一


聖書

哀歌 第3章17~33節(口語訳)

わが魂は平和を失い、

わたしは幸福を忘れた。

そこでわたしは言った、「わが栄えはうせ去り、

わたしが主に望むところのものもうせ去った」と。

どうか、わが悩みと苦しみ、

にがよもぎと胆汁とを心に留めてください。

わが魂はたえずこれを思って、

わがうちにうなだれる。

しかし、わたしはこの事を心に思い起こす。

それゆえ、わたしは望みをいだく。

主のいつくしみは絶えることがなく、

そのあわれみは尽きることがない。

これは朝ごとに新しく、

あなたの真実は大きい。

わが魂は言う、「主はわたしの受くべき分である、

それゆえ、わたしは彼をまちのぞむ」と。

主はおのれを待ち望む者と、

おのれを尋ね求める者にむかって恵みふかい。

主の救を静かに待ち望むことは、良いことである。

人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。

主がこれを負わせられるとき、

ひとりすわって黙しているがよい。

口をちりにつけよ、

あるいはなお望みがあるであろう。

おのれを撃つ者にほおを向け、

満ち足りるまでに、はずかしめを受けよ。

主はとこしえにこのような人を

捨てられないからである。

彼は悩みを与えられるが、

そのいつくしみが豊かなので、

またあわれみをたれられる。

彼は心から人の子を

苦しめ悩ますことをされないからである。


 2024年の待降節(アドヴェント)第1主日の朝を迎えました。今朝は、最近読んだ『ママとマハ』という写真文集についてお話しすることから始めたいと思います。


 昨年1月に公刊されたその写真文集は、高橋美香という写真家が、ヨルダン川西岸地区で暮らす二人のパレスティナ人女性ママとマハと出会った事、そして交流を重ねてきた事、その記録として出版されたものです。この本は、彼女たちの写真、さらには彼女たちの家族や隣人や友人たちの写真、そしてそれぞれの写真に付された簡潔な文章とから成っています。


 この作者の高橋さんは、心に期するところあって単身パレスティナに赴き、今から15年前の2009 年にヨルダン川西岸地区の小さな村ビリンで暮らす女性(ママ)と出会い、さらにその二年後、ジェニン難民キャンプというところで暮らす女性(マハ)とも出会います。そこで高橋さんは、彼女たちからそれぞれ家族の一員のようにして暖かく迎え入れられ、彼らの家で「居候」をしながら写真を撮る傍(かたわ)ら、生活と労働をも共にしていきます。

 そうした出会いと交わりを通して、彼女たち、そして彼女たちの家族や親族や友人たちの日常生活が、御一人御一人の陰翳(いんえい)を帯びた面差しとともに、高橋さんが撮った写真の中に生き生きと写し出されています。また、各頁の写真の余白スペースには、そこに写されている人たちの紹介とそれ以後の消息、さらにママとマハの語った言葉が記されています。そしてその写真文集の最後には、高橋さん自身の彼女たちへの、そしてパレスティナの人々への思いの綴られた「あとがき」が付されています。


 ママの暮す村とマハの暮すジェニン難民キャンプとは、たった数十キロしか離れておらず、かつまた高橋さんを介してお互い知り合うようになった御二人は、電話での会話を重ねるうちに深く心を通わせ合うようになり、近いうちに直接に会って高橋さんともども三人で一緒に御茶を飲みながら語らおうと約束を交わしていました。しかし、体調を崩していたママは、その楽しみにしていた語らいの時を待つことなく、苦難に満ちたその生涯を昨年の三月に終えられました。その事によって、遂にその二人の約束は、パレスティナの地で叶えられることはありませんでした。


 そのママは、生前、高橋さんに対して、自分たちが暮らしていた村にある日突然、イスラエルによって分離壁が建てられた、その出来事を語ります。分離壁とは、それまでは少なくとも何とか行き交う(多大な危険を背負ってではありますが)ことのできていたところから、パレスティナの人々を一方的に締め出すために、イスラエルが不法不当に建設したものです。ただでさえ不自由な暮らしを強いられていたパレスティナの人たちの、僅かに残されていた移動や労働の自由、すなわち生存の自由を、分離壁は、決定的に奪い取るものでありました。イスラエルは、そのような分離壁を、パレスティナの人々が暮らす地域の至るところに設営しています。


 この暴虐な突然の封鎖に対して、村の人々が、老若男女を問わず、デモや抵抗活動によって反対の意思表示を行っていった事、そしてそのときの出来事を、ママは高橋さんに対して証言しています。そして、その反対と抵抗の意思表示としてのデモンストレーションの一場面を写した写真も、本書中には収められています。そのようなパレスティナの人たちの抗議行動に対して、しかしイスラエルは、パレスティナ全土で、軍隊を用いて徹底的な武力弾圧を行ってきました。本文中には、それによってママやマハにとってかけがえのない若者たちや親族たちが次々と殺されていった事が、呻くようにして語られています。


 この分離壁には、パレスティナの人々に対して、イスラエルがこれまで行ってきた人種差別行為のすべてが集約されています。それは、まさしく分断の壁です。それは、エフェソ書にある「隔ての中垣」そのものです。それだけではありません。イスラエルは、その分離壁の向こう側に、パレスティナの人々を追放し、その追いやった空間に封鎖した上に、それらの人々の中に自分たちに対する「抵抗分子」を探し出そうと目を光らせ、その人々の生活を絶えず監視下に置いています。それに対して、その分離壁の手前側には、元々パレスティナの人々の土地であった所に、ユダヤ人入植地を次から次へと作り、そうした形で彼らの土地を取り上げ続けています。それは、パレスティナの人たちが帰りゆくことをひたすらに願っている彼らの故郷の地の一方的な強奪行為に他なりません。

その暴挙に対して抵抗運動をするパレスティナ人に対しては、イスラエル軍による凄惨(せいさん)陰湿(いんしつ)な弾圧が繰り返されています。差別され侵略された人々の抵抗権は国際法によって認められているものです。しかしそれら抵抗運動に対するイスラエルの弾圧は、その国際法を傲然と踏みにじるものです。そのような所行を、イスラエルは国家防衛の名のもとに行い続けています。じっさいイスラエルは、少なくとも一九四八年の「建国宣言」以来、現在に至るまで七十八年以上にわたって、パレスティナの人々を、そしてその支援者となった他国の一般市民やジャーナリストたちを、こうした剥き出しの武力弾圧によって虐殺し、あるいは再起不能になるほどまでに傷めつけてきました。


 この写真集が紹介しているママとマハのライフ・ヒストリーの一端は、そうしたイスラエル当局による迫害蛮行のなかで生きる二人の女性のライフ・ヒストリーです。それはまた、生活基盤を奪われ続けてきた無数のパレスティナ難民の、言い尽くしえない厖大(ぼうだい)なライフ・ヒストリーの中の一つを成すものです。それが、この写真文集を通して、御一人御一人の具体的な生活シーンと、さらには飾らない言葉とともに、伝えられています。そこに写された人々が時折に見せる喜びと尊厳に満ちた柔らかな面影には、同時に、悲しみの翳(かげ)が地の底からの叫びと共振しながら深く刻み込まれています。そのなかで、彼女たちが家族・親族として愛し慈しんできた青年たち、またその親しい友人たちが、次々とイスラエル兵により一方的に嫌疑をかけられ逮捕され暴行されたという事実が、言葉少なに触れられてもいます。しかしその具体的な悲しみのどん底から、彼女たちはアラーの神に、魂を絞り出すようにして祈っています。その祈りの言葉とともに、この写真集の本文は終えられています。その言葉は、今朝最後に紹介します。


 そのような彼女たちが、居候を願い出てきた一人の日本人の若い写真家に対して、心を開き穏やかにそして真率に語った言葉もまた、この本の中に記されています。ママもマハも、貧困と限りなく不自由な暮らしのなかにあって、苦しみの淵に沈みこんでいる隣人たちをいたわり、家族友人を慈しみ励まし配慮し、家畜の世話をし、打ちひしがれ無気力に追いやられていた若者たちが、高橋さんの呼びかけによって瓦礫を一つまた一つと片づける姿に心動かされ、さらにそのような場所にオリーブやレモンの木を植え、野菜を育て、収穫し、その収穫を分かち合いながら、沢山の子どもたちを必死で育ててきた人たちでありました。それらの事が、「天井のない監獄」というパレスティナの人々の追いやられている極限的な状況のなかでの、一つ一つ具体的な日常の出来事として、ママとマヤの暮しに即して写され記されています。

 この本には希望という言葉は出てきません。しかしその生きる営みそのものが、絶望的状況のなかで徹底的に傷めつけられている目前のいのちを、次の一日に向かって少しでも守り支えていこうとする営みとなっています。そこには、苦しみのなかで、なお黙々と明日一日に向けて今を生きる人々の姿があります。暴力と残虐が飢えた狼の如くにわれわれの世界を粉々に噛み砕こうとしているこのときに、しかしなお人間であり続ける事を決して手離すことなく、そのようにして黙々と支え合って歩みつづける人たちのノーブルな姿。その生きる姿そのものが、苦難と尊厳とに満ちた証しとなって、本書に刻みつけられています。


 こうして、ママとマハという二人のパレスティナ人女性の豊かで穏やかな表情の奥底に、どれほどの苦難が刻みつけられているのか、逆に、暴力的支配を実行し続けているイスラエルという国家の所行がどれほど非道にして残虐なものであるのか、それらが写真という沈黙の媒体を通して、無言のうちに、しかし心震わすものとなって伝わってきます。


 それと同時に、この写真文集を読むとき、どれほどのママとマハが、今、パレスティナの地に、そして世界中におられることか。その声なき声へと思いを向けずにはいられなくなります。われわれはこの年、この世界に満ち満ちている叫び、その声なき声のうちで、アドヴェントを迎えています。


 同時に私は、このような世界が、今、不気味な地鳴りとともに瓦解し始めているとの感を懐かずにはいられません。ちょうど氷河の巨大な永久氷であったものが、地球温暖化の中で轟音を立てて続々と崩れ落ちていくのと同様に、世界がこれまで当然だと思い込んでいた事々が、いま瞬く間に片っ端から音を立てて瓦解(がかい)し崩れ落ちていっているからです。国際法は至るところで「強者」によって徹底的に踏みにじられ、独裁者は核兵器の使用を脅迫的に口にし、数え切れないほどの子どもたちがミサイルによって瓦礫(がれき)の下で息絶えているという事、これら人類全体の死に直結している無法状態が全地球規模で広がっています。その事実だけでも、われわれの世界は、これまでと同じものだとはもはや言い得ない状況であり、それどころかその状況のさらに一層の悪化に向かって歩を早めつつある。私は、今このとき、戦慄しつつその思いを深くしてます。


 人間が、そして世界が、瓦解崩落していくこの底知れない危機からどうしたら少しでも立ち直ることができるのか、われわれは、この危機のなかにあってそれを一体どのように受けとめているのか。この問いの迫りの前に立たされて、私はこの年のアドヴェントを迎えています。


 その問いに震い審かれるなかで、今朝は、このような時代のうちにあって「待降=待ち望む」という魂のあり方とは一体いかなるあり方なのか、その事を、特にも旧約聖書の『哀歌』を通して学んでみたいと思います。とはいえ、『哀歌』各章の内容を限られた時間の中ですべて取り上げる事はできません。今朝は『哀歌』全5章のうち、先ほど司会者にお読み頂いた箇所を中心にして見ていく事にしたいと思います。


 『哀歌』は、全部で5章から成っています。その作者は、古代以来、預言者エレミヤだと長く考えられてきましたが、現在の旧約学研究者たちのなかにはエレミヤを作者と考える人はほとんどいません。むしろ、複数の人物によって書かれたものとする見解が有力となっています。しかしここで何よりも重要な事は、この『哀歌』がどのような歴史的状況のもとで書かれたのかという事です。それは、研究者たちが指摘するように、バビロンの侵略により南ユダ王国が滅ぼされたとき、とりわけその精神的・政治的・宗教的中心であったエルサレム神殿が徹底的に破壊されたという大惨事のなかであったのは確かな事だと思われます。『哀歌』は、まさしくその大惨事に直面した人々によって生み出されたものです。それは、古(いにしえ)の南ユダ王国の人々にとって、いまだかつて経験した事のなかった恐るべき破局経験でした。


 このエルサレム神殿の徹底破壊が起こったのは、紀元前587年の事でありました。『哀歌』は、その出来事の直後に成立したものと考えられます。この破局経験の具体的な有様は、とりわけ1章、2章、4章のうちに激烈なかたちで書き残されています。それらのうち幾つかの箇所を見ておきたいと思います。


なにゆえ、独りで座っているのか

   人に溢れていたこの都が。

やもめとなってしまったのか

   多くの民の女王であったこの都が。

奴隷となってしまったのか 

   国々の姫君であったこの国が。 (1章1節)


シオンに上る道は嘆く

   祭りに集う人がもはやいないのを。

シオンの城門はすべて荒廃し、祭司らは呻く。

シオンの苦しみを、おとめらは悲しむ。 (1章4節)


なにゆえ、主は憤り 

   おとめシオンを卑しめられるのか。

イスラエルの輝きを天から地になげうち

主の足台と呼ばれたところを

   怒りの日に、見放された。 (2章1節)


主はまことに敵となられた

イスラエルを圧倒し

その城郭をすべて圧倒し、砦をすべて滅ぼし

おとめユダの呻きと嘆きをいよいよ深くされた。 (2章5節)


憐れみ深い女の手が自分の子供を煮炊きした。

わたしの民の娘が打ち砕かれた日

   それを自分の食糧としたのだ。

主の憤りは極まり

主は燃える怒りを注がれた。

シオンに火は燃え上がり

都の礎までもなめ尽くした。 (4章10~11)


主の油注がれた者、わたしたちの命の息吹

その人が彼らの罠に捕らえられた。

異国民の中にあるときも、その人の陰で

生き抜こうと頼みにした、その人が。 (4章20節)


 『哀歌』は、以上のような未曽有の破局経験のただなかに投げ込まれた人々の、呻きと悲嘆に刺し貫かれた歌でありました。とりわけこの書のタイトルの「哀歌」とは、原文では「エーカー」というヘブル語ですが、一章、二章、四章の冒頭は、みなこの言葉で始まっています。その言葉は、新共同訳では「なにゆえ」と訳されています。ただし、それはただのニュートラルな疑問詞としての「なにゆえ」ではなく、「いったい全体どうしてこんな事が」といった、この破局経験に打ちのめされた人の存在の奥底から息も絶え絶えに絞り出されている「なにゆえ」です。協会訳では、「ああ」と訳されていますが、まさしくこのような言葉にならない、腸(はらわた)のちぎれるような呻き、それが『哀歌』の最も深いところを貫いています。


 本文に入っていく前に、一言お断りをしておきたいと思います。今朝は、協会訳を用いたいと思います。理由としては、今朝の箇所について幾つかの日本語訳聖書、また各種外国語訳聖書を見較べ、また原文についての本文批評にも目を通してみました。それらを踏まえると、今朝の箇所に関しては、新共同訳は意訳に走り過ぎているところが散見されるという事、それに対して、ここは協会訳の線で読む方が、私にとって、原文の痛切さをよりつかみやすかったという事、そのような相対比較上の理由で、以下、お手許にお配りした協会訳を用いて読んでいきたいと思います。


 『哀歌』は、エルサレムの滅びに直面した人々の、まさしく悲しみと嘆きの「歌」です。しかもそれは、キーナーと呼ばれる深い哀しみの調性を帯びた歌になっていると研究者は指摘しています。『哀歌』は、後のユダヤ戦争の際(AD70)、ローマ軍によるエルサレムの徹底的な破壊がなされたときに起こった民族的破滅の経験を、後続世代が心に銘記するために、その後、毎年の礼拝祭儀に参じた多くのユダヤ人たちによって、共同で歌われるものとなっていきました。


3章17節


わが魂は平和を失い

わたしは幸福を忘れた。


ここで「平和」と言われている元々の言葉はシャーロームという言葉です。シャーローム=平和とは、基本的には、心の平安はもとより、それにとどまらず、人間の存在全体に関して言われています。それゆえ、「わが魂が平和を失う」とは、その人間の内外の状況が様々な脅威の下で平安を失ってもがき苦しんでいる、そうした不安と恐怖に駆られたニヒリスティックな事態を指し示している言葉だと言えます。さらにこの箇所を直訳すると、「わが魂は平和から遠く遠く隔(へだ)たったところへと拉(ら)っし去られた」という風にもなります。ある日突然、分離壁によって行き来を全面的に閉ざされ、移動し労働し帰還する自由を奪われ、それに対して抵抗の意思表示をなすと、その事そのものがただちに監視部隊のライフル銃の標的とされていく。そのような事態のなかに投げ込まれたとき、それは、平和から最も隔たった遠いところへと人間の魂を暴力的に連れ去っていく。歴史的破局とは、そのようなかたちで人間から平和=シャーロームを根源的に奪い取る。一七節は、その事の証言の言葉となっています。


18節


そこでわたしは言った。「わが栄えはうせ去り、

わたしが主に望むところのものもうせ去った」と。


前節の平和を失い幸福を忘れたという事、それは、「主に望むところのものもうせ去った」という主への望みの消滅という事態を生み出した。そう『哀歌』は歌います。「主への望み」が根絶やしにされる。その望みが零と化した虚無を、作者は痛苦に満ちて告白しています。彼は、この破局に臨んで、主への望みを全面的に失っています。いや、失わざるを得なくなっています。自分はもはや主に何も望まない。いやじじつ望むものすべてが目の前でことごとく無と化しているではないか。その中でいったい何を望むというのか。この一句のうちには、破滅的(カタストロフィック)な響きがあります。しかし破局に呑み込まれた人間の現実は、主への望みそのものがうせ去るところにまで行き着く。哀歌はその事を、自身の現実として、ありのままにここで吐露しています。


 この二つの節を受けて、19節が歌われます。


どうか、わが悩みと苦しみ、

にがよもぎと胆汁とを心に留めてください。


悩み、苦しみ、にがよもぎ、胆汁。これらは、歴史的苦難を経験した人間の苦しみを強調している言葉です。悩みと苦しみという語が対をなしています。にがよもぎと胆汁という語もまた苦難の苦さを言い表すものとして対をなしています。それらは、その苦しみ、その苦さを二重に倍加して強調する言い回しです。ここには、直前の17節、18節のみならず、例えば1節


わたしは彼の怒りの鞭によって悩みにあった人である。


5節


苦しみと悩みをもって、

わたしを囲み、わたしを閉じ込め、


15節


彼はわたしを苦いもので飽かせ、

にがよもぎを私に飲ませられた。


といった苦難の経験を言い表す痛切な詩句が、すべて重なり合って流れ込んできています。その意味で19 節は次の20 節ともども、3 章前半部の苦難と呻きの歌の一つのクライマックスをなしています。


20 節


わが魂は絶えずこれを思って、

わがうちにうなだれる。


ここで「これを思って」の「これ」とは、今述べた19 節20 節の内容を指していると考えられます。平和から遠く隔てられたところに拉っし去られてしまった魂が、そうであるからこそ、その余りにも苦い苦難という現実を「絶えず思ってうなだれる」。この箇所は詩篇42編を想起させます。


なぜうなだれるのか

わたしの魂よ なぜ呻くのか。 (詩篇42 編6節)


しかしその直後に驚くべき転換が兆し始めます。


しかし、わたしはこの事を心に思い起こす。

それゆえ、わたしは望みをいだく。


望みをことごとく失った者に、ここで「望みをいだく」事を得さしめたものとは、一体何なのでしょうか。哀歌の作者は、エルサレムの破滅のなかで起きた、目を背けたくなるような凄惨な出来事に直面しています。それは彼から一切の望みを奪い取ったものです。そのなかで、その人は、われに望みなしと一度は告白しきっています。それは極限的な告白です。望みの絶え果てた無の淵の中から発せられている告白です。


それにもかかわらず、その絶望に打ちひしがれた彼が、打ちひしがれたままでありながら、「しかし」(20節)という一語とともに「望み」を語り始めます。その事を惹き起こしているもの、それが「わたしはこの事を心に思い起こす」という魂の「この事を思い起こす」あり方でした。それは、ただぼんやりと何かを待っているといった待ち方とは根本的に異なった魂の姿勢です。ここでの魂は、「この事」、この一事、すなわち「主のいつくしみとそのあわれみ」へとひたすらに心を向けています。


主のいつくしみは絶えることなく、

そのあわれみは尽きることがない。

これは朝ごとに新しく、

あなたの真実は大きい。 (22~23 節)


望み無き淵に沈み込んだ哀歌作者は、「主のいつくしみ」「そのあわれみ」を、その沈みの底べで「思い起こして」います。このとき、この人はこれまでに経験してきた主のいつくしみとあわれみに、主の名を呼びながら、全身を向けています。望みなきなか、それにもかかわらず「主を待ち望む」という驚くべき告白を彼に促すもの、それが「主のいつくしみとあわれみ」に向かって今新たに呼びかける事、そのようにしてなされる「思い起こし」という魂のあり方でした。この

「主のいつくしみの思い起こし」のなかで、「待ち望む」という魂のあり方が、24 節以下で、堰を切ったように立て続けに3回歌い重ねられていきます。


わが魂は言う、「主はわたしの受くべき分である、

それゆえ、わたしは彼を待ち望む」と。

主はおのれを待ち望む者と、

おのれを尋ね求める者にむかって恵みふかい。

主の教えを静かに待ち望むことは、良いことである。

(24~26節)


 『哀歌』を悲哀の歌として書き記した作者は、望みを絶たれたという自らの虚無の事実を包み隠すことなく告白しつつ、しかしそれにもかかわらず、その望みの無の地点で「しかし」という一語とともに、「主」への新たな心身(=魂)の構えに立ち戻っています。その逆転は、恵みの出来事としか言いようがありません。そのような恵みの出来事こそが、主の憐れみを「思い起こし」その主を「待ち望む」あり方を、この人の中に惹き起こしています。それは「待ち望むこと」「思い起こすこと」を、望みの無の地点から新たに再び経験していく、そのような逆転の生へとこの人がいま立ったという事を告げるものです。ここで『哀歌』は、驚くべき事に、喜びの調性に移行しています。全体を貫く悲しみの調性に、いま新たに喜びと望みの調性が加わり始めています。


これは朝ごとに新しく、

あなたの真実は大きい。


 人間的に一切の望みの絶え果てた場所で、その「朝ごとの新しさ」を生きるとは、われわれが自然に為し得るような事ではあり得ません。一体誰にそのような事ができると言うのでしょうか。しかし『哀歌』はここで、鮮烈なまでに「朝ごとに新たに」と告白しています。それは、望みなきわれわれに向かって、われわれの外から、われわれならざるものによって恵み与えられてくる「朝ごとに新たに」という驚きの事態です。その「われわれならざる者」にこそ、「朝ごとに新しく」という事の確かさの一切の根拠があります。否、そこにしか、その確かさの根拠はありません。

 『哀歌』は、そのわれわれならざるものとは誰であるのか、その方の名を知っています。そして、その御方が「いつくしみとあわれみの主」であるという事を、そしてその主をこそ、今この苦境のただなかで「静かに待ち望んで」います(26 節)。歴史の破局がもたらす虚無のただなかにあって語られる「静かな待望」。それは外面(そとづら)の「静かさ」でもなければ、「万事休す」の虚無的な「静かさ」でもありません。それらとはまったく異なった「静かさ」です。望みの無の中にあって、しかし最も大切な恵みの一事を「思い起こし、待ち望む」魂の激しい闘いのうちに宿る、主のあわれみに満たされた「静かさ」です。


 われわれの現在の状況は、『哀歌』が直面している歴史的状況と、その破局性という一点において驚くほど通じ合っています。しかもわれわれの時代の破局は、人類全体の死に直結する破局の様相を帯びています。全地球規模で広がっている無法状態は、その事を予兆して余りあるものがあります。イスラエルの無法の背後には、それを追認するアメリカを先頭に、欧米各国のダブルスタンダードという無法が緊密に絡み合っています。日本もまた、その国際政治のネットワークの一員に収まりかえっています。


 ママとマハがその全身で負っているパレスティナの人々の現実は、われわれの時代のそのような世界史的破局のなかでの出来事に他なりません。その事に対して、同時代人として、暗黙のうちにその破局の現実に、ネットワークの一員として加担している者の一人として、私は責めを負っています。他人事ではないのです。


 しかし『哀歌』がここで告白している「思い起こす」ことと「待ち望む」ことに心を留めるとき、パレスティナの一人の女性マハがその亡き友であるママを追悼して語りかけている言葉は、われわれが責めを負っているこの破局の一番底べで歌われている『哀歌』として、そのわれわれのためにわれわれに代わって紡がれている言葉です。その事を深く心に刻みつけたいと思います。


この年のアドヴェントを迎えるに当たって、かの時代の『哀歌』の調べを思い起こしつつ、主のいつくしみとあわれみへと確と心を向ける事、そしてわれらの時代の「哀歌」を心のうちに刻むこと。その事を大切にしたいと思います。その中から、「いかにしてこの破局の時代のなかで立ち直っていくのか」との問いに対して、祈りつつ、少なるものでありながらも、応答の生を探り求めていきたいと思います。最後に、そのマハの言葉を紹介して、今朝のアドヴェント第一主日の説教を終えたいと思います。


子どもたち、孫たちが元気で健やかでありますように。

誰ひとり欠けることなく、それぞれの誕生日を祝えますように。

ちいさな喜びのつみ重ねが、おおきな哀しみをふきとばしてくれますように。

裏庭の木々の成長を見守り、ここで大切なひとたちにかこまれて、年老いていきたい。

もう誰も傷つきませんように。

もう誰も大切なひとの命を不条理に奪われませんように。

みんなが、自分の場所でおだやかに笑って暮らせますように。

それが、あなたとわたしの共通の願い。

いつか、その日がきたら、みんなでいっしょに天国でお茶を飲みましょう。

インシャーアッラー(神さまが望めば)。


哀しみも苦しみもないその場所で、笑顔とよろこびばかりのその場所で。

閲覧数:3回

Comments


bottom of page