2024年10月20日主日礼拝説教 山本 精一
聖書
創世記第32章23~31節
その夜、ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡
しを渡った。皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、ヤコブは独り後に残った。そ
のとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。ところが、その人はヤコブに勝てないとみ
て、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。「もう去ら
せてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福し
てくださるまでは離しません。」「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブで
す」と答えると、その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエル
と呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」「どうか、あなたのお名前を教えてく
ださい」とヤコブが尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをそ
の場で祝福した。ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」
と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた
第33章1~4節
ヤコブが目を上げると、エサウが四百人の者を引き連れて来るのが見えた。ヤコブは子供た
ちをそれぞれ、レアとラケルと二人の側女とに分け、側女とその子供たちを前に、レアとそ
の子供たちをその後に、ラケルとヨセフを最後に置いた。ヤコブはそれから、先頭に進み出
て、兄のもとに着くまでに七度地にひれ伏した。エサウは走って来てヤコブを迎え、抱き締
め、首を抱えて口づけし、共に泣いた。
今朝は、創世記に記されているヤコブ物語を、とりわけヤコブとその双子の兄エサウと
の関係に即して見て参りたいと思います。創世記は、十二章以下で、いわゆる族長たちの
物語、すなわちアブラハム、イサク、ヤコブをそれぞれの主人公にした物語を展開してい
きますが、そのなかにあって、ヤコブ物語は、アブラハム物語と肩を並べると言ってよい
ほど長大な物語となっています。
そのヤコブ物語の出だしは、イサクの妻リベカが、双子の兄弟エサウとヤコブを「身ご
もった」というところから始まります(二五21)。その際、胎内での双子の「押し合う」
動きに、リベカは早くも何か不吉なものを感知しています。リベカのその不吉な予感はや
がて的中する事になりますが、テクストは、この双子の兄弟の誕生、その命名(エサウ・
ヤコブ)、そしてその命名の由来に続けて、この二人の特徴(野人vs. 穏やかな人)に言
及しています(27~28)。しかしそこから物語は一気に、彼らの成長後に飛び、両者の間
に起こったある不穏な出来事がクローズアップされていきます(29~34)。
野原での狩りを終えて、へとへとに腹を空かせて天幕に戻ってきた「狩人にして野の
人」(二五27)エサウは、「天幕の周りで働くのを常としていた」弟ヤコブが作っていた
「煮物」に目が釘づけとなります。空腹に駆られるがままに、エサウは、それを食べさせ
てほしいとヤコブに頼み込みます。するとヤコブは、それと引き換えに、あろう事か、兄
エサウの「長子の権利」(31)を弟である自分に譲るべしとの交換条件を持ち出します。
一杯の煮物 対 長子の権。それは、どう見ても、およそ均衡を欠いた無理無体な要求で
す。しかしヤコブは大まじめに、その要求をここで持ち出しています。しかしながら当の
エサウは、今このときの空腹に耐えかねて、「ああ、もう死にそうだ。長子の権利などど
うでもよい」(32)と、後先考えずに叫んでしまいます。このとき、ヤコブは、エサウに
対して圧倒的に優位な立場に立っています。その優位を笠に着て、間髪入れずエサウに、
それならば長子の権を譲れと迫ります。そしてそう誓わせることに成功します。このよう
にして彼は、先ず兄エサウから、自らの思い通りの言質(げんち)を取りつけます。
この逸話(エピソード)は、古来、エサウの愚かさを示すものと受けとめられてきました。例えば新約聖書へブル書には、
ただ一杯の食物のために長子の権利を譲り渡したエサウのように (へブル書一二16)
という言葉が出てきますが、この定型化した言い回しからは、このような言い方そのもの
が、エサウに関して恐らく一つの決まり文句のようなものとなって初代教会の間で相当に
流通していた事情を推し量ることができるようにも思えます。
この出来事は、ヤコブ物語全篇の序曲となります。というのもこの事は、長子の権をめ
ぐって、双子の兄弟エサウとヤコブとの間に深刻な対立と争いが始まる、その始まりの出
来事だからです。ここから始まる対立と争いのモティーフが、この物語全篇を貫いていき
ます。しかもそれは、その最終的局面では、後に見るように、ヤコブ一族とエサウ一族と
の間での、文字通り骨肉相食む激突、いや「殺し合い」をすら当のヤコブに予感させるほ
どのものにまでなっています。それは、部族間「戦争」をすらイメージさせるものです。
かくして、ヤコブ物語は、「虚偽」、「信頼関係の踏みにじり」、「分争」、「憎悪」、「殺意」、そして「戦争の不安」といった凶々(まがまが)しい問題群を孕(はら)んで進行していきます。それらの問題を最終的決定的に生み出したもの、それが、父イサクから長子である兄エサウに与えられるはずであった祝福を、ヤコブが策略を弄して、すなわち今風に言えば、フェイク(虚偽情報)とプロパガンダ(その虚偽情報の拡散)を駆使して横取りしたという出来事でありました。こうして、嘘による父からの祝福簒奪(さんだつ)という出来事、それこそがヤコブ物語全篇を決定的に動かしていきます。
水も食物も決してふんだんにあるわけではなかった中近東世界の苛酷な自然環境の中で、祝福継承の問題は、家族単位で身を寄せ合って生きていかねばならなかったその世界の人々にとって、まさに死活問題でありました。その祝福の継承に関して、弟ヤコブは、彼を偏愛する母リベカと結託して、あらん限りの嘘と策略を用いて、老いて目のかすんだ父イサクから、長子エサウに与えられるべき祝福を騙(だま)し取ります(二七1~40)。しかし、この嘘と謀(たばか)りによる祝福の簒奪(さんだつ)という出来事は、その後のヤコブの生涯に暗く重苦しい影を落とすものとなっていきます。
ヤコブ物語では、この兄弟間の「対立関係」に、さらにそれ以外の幾つもの対立関係が重ねられていきます。それらの「対立関係」の一つ一つに、ヤコブは当事者として関わっています。例えば兄の憎悪と殺意から逃れるため遠く身を寄せた母方の伯父ラバンとの間で、ヤコブはこの伯父のずる賢い策略に苦しみ、やがて彼との決定的対立の局面に立ち至ります。またそのラバンの一存とたくらみによって、ヤコブの意に反したかたちでラバンの娘レアとの結婚という事が起きてきます。しかし、ヤコブがそもそも妻にしたいと願っていたのはラケルの方でありました。やがてそのラケルを、ラバンを説き伏せて何とか妻にしたヤコブは、しかしこの姉妹間に生じたねたみそして事々に競い合う対立関係に直面していくことになります(三〇1、15)。
今朝はヤコブ物語中に張りめぐらされているそれらの対立と争いの中身には立ち入りませんが、「分争」(二五23)、「策略」(二七35)、「権利と祝福の簒奪(さんだつ)」(二七36)といった事から始まるヤコブの人生は、こうして、その逃亡先でも不穏な対立葛藤のなかに投げ込まれるものとなっています。テクストはその事を詳細に語っています。以上の対立葛藤の大元にあるもの、それが、嘘と謀(たばか)りによる長子の権の略奪というヤコブの背信行為そのものでありました。
しかし驚くべきことに、テクストは一貫して、そのヤコブにこそ、神からの祝福と約束が臨んだと繰り返し語ります(二七23、二七28~29、二八3~4、二八13 ~15、三一3、三二29、三五10、11)。しかしながら、老いた父イサクから祝福を騙し取ったヤコブに、何故神からの祝福が与えられるのでしょうか。このヤコブへの祝福とは、私にとっては、受け容れがたいものです。しかしそれに躓(つまず)かざるを得ないという事は、私の個人的な受けとめ方の問題に留まるものではありません。
というのも、そもそもヤコブの「騙し取る」行為の狡猾・不正は、旧約の預言者たちが厳しく指弾する、正義の神ヤハウェに対する背信行為そのものであったからです。じじつ預言者たちは、自らの民ユダ・イスラエルの神と人に対する不真実そしてその具体的な社会的政治的不正義の諸相を峻烈(しゅんれつ)に告発し、ヤハウェ信仰への真実な悔い改め・立ち返りを、審きの言葉をもってその民に迫り求めた告知者たちでした。この預言者たちの使信の前に立つとき、ヤコブの狡猾な不正は、厳しく審かれるべきもの以外の何ものでもありません。
ところで、この不正な者への祝福の問題は、現在伝えられている、この地球上での身を震わすような二枚舌と暴虐の現実を前にして、祝福とはこの時代の誰になされるべきなのかという問題へと、われわれを否応なしに追いやります。井筒俊彦というイスラーム学の碩学は、今から四十三年前の一九八一年の講演冒頭で次のように語っています。
地球上のどんな片隅に起こることも決してそれだけ独立し孤立してはありえない。現に、例えばイランで起こる事件、アラブ世界の動向がそのまま直接われわれ自身の生活にひびいてくる。中近東はわれわれ日本人のいま生きている現実そのものの中に織りこまれているのです。
この意味で人はよく、世界は狭くなったと言います。異常に狭くなったこの世界空間の中に、それぞれ違った文化伝統を担った多くの民族が雑然と投げこまれて、押し合いへし合いしている。当然、そこにいろいろな難問が世界的規模で起こってきます。
(『イスラーム文化』)
今から四〇年以上も前の発言ですが、古びるどころか不気味なほどリアルにわれわれの今に迫ってきます。とりわけ、そこでの「異常に狭くなった世界」という言葉は、極めて印象的です。しかしわれわれは、その当時には思い及ぶこともなかったほどの情報テクノロジーの爆発的進展によって、当時に比してさらに一層「異常に狭くなりつつある世界」のなかに身を置いています。そうしたなかで、かつて井筒が「世界的規模での難問」と語っていた事、しかしそこでは直接具体的には触れられていなかった事、それこそがパレスティナでこれまで起き続けてきている事に他なりません。
パレスティナの人々に対してイスラエルがこれまで行ってきた八十年になんなんとするジェノサイドの歴史をいささかでも学ぶとき、すなわち先住の民パレスティナの人々から、西欧世界の独善的で狡猾なお膳立てのもと、突如として彼らの土地と生活と財産の一切を奪い取って創設されたシオニズム国家イスラエル、それ以降執拗に繰り返されてきた領土強奪のための軍事的挑発と無法な植民事業、それらに対する抵抗運動への徹底的な武力弾圧と日常的な殺戮・恫喝行為、生活基盤の破壊、組織的プロパガンダ。それら気の遠くなるような非道を、これまでの自らの怠りと無視を慚愧しつつ、今にしてやっと本気で学び始めるとき、さらには国際法を公然と踏みにじり、剰(あまつさ)え居直り続ける軍事国家イスラエル、そしてそのイスラエルと癒着し続ける現代の欧米植民地主義国家群、さらにはそれらの国々と政治的に同調し、翻っては自らの戦争責任にいまだ決して向き合おうとせず、自身の植民地主義に集団的に目をつむるこの日本、その日本の一員である私。
パレスティナの人々の生の尊厳をことごとく毀損・破壊する殺戮兵器のひびきを前にしてヤコブ物語に向き合うとき、そしてそこでの狡猾不正なヤコブとは一体誰なのかと問うとき、それはまさしくこの歴史に目をつむり続けてきたこの私ではないかと告白せずにはいられません。審かれるべき者の一人として、ただ助けと執り成しを乞い求めつつ、今朝のテクスト、ヤコブとエサウの出来事の方へと足を引きずる様にして、いま一度戻っていきたいと思います。
エサウとヤコブの物語は、「アブラハムの息子イサクの系図」(二五19)から始まります。その系図は、アブラハムの祝福に連なる者とは誰なのか、その事の歴史的確認という意味合いをもっています。そのイサクに、双子の男児が生まれます。豊穣多産を神からの祝福と受けとめる旧約の家父長制的伝統から見れば、この事は、常識的には極めて喜ばしい事であったはずです。ましてや長らく子どもを持てなかった六〇歳の老人イサクにとって、その喜びはどれほどのものだったでしょうか。しかしテクスト中には、そうした喜びを匂わす言葉は、どこにも見当たりません。むしろ反対に、テクストは、リベカの胎内で始まっている「押し合い」と「分争」という不安なモティーフを際立たせています(二五22、23)。
その上この兄弟の対立と抗争というモティーフには、異民族間の対立と抗争のモティーフが重ねられています。というのも、弟ヤコブは、後に神により「イスラエル」と名づけられ「一つの国民」(三五10~11)の祖とされ、兄エサウは「エドム人の先祖」(三六43)とされているからです。その上で、これら二つの民は、「分かれ争い」、「一つの民が他の民より強く」なり、「兄が弟に仕えるようになる」。それが「主の御心」(二五23)だというのです。
双子とは、通常、よく似た者同士の代名詞と見なされます。しかし創世記はそこに、むしろ分裂・不均衡・対立関係の萌芽を見ています。「分かれ争う」との一句は、その事を明確に伝えるものです。双子とは、そもそも別個に独立した二人格です。しかし同時に、共通の親から共通の時に生まれてくるという運命的な関係性を背負っています。その意味で、双子とは、分離した者がしかし様々に関係しあって生きていくというわれわれ自身の姿そのものの雛形です。われわれの日々の生活は、取りも直さずこの「分離した者が関係しあう」という出来事に貫かれています。その事のなかで、われわれもまた、一再ならず、分争と不和と対立という問題に折にふれて直面しもします。
テクストは、さらに偏愛という人間の事実を直視していきます。
イサクはエサウを愛した。狩の獲物が好物だったからである。しかしリベカはヤコブを愛した。 (二五28)
ここでは、三つの事に注目したいと思います。
第一は、イサクが愛したのは、ヤコブではなくてエサウであったという事です。これは、祝福を継ぐべき長子エサウにとっては、長子としての優位がいよいよ揺るがざるものとなっていくという事を意味します。彼は、父イサクからの寵愛を得れば得るほど、祝福を受け継ぐべき自分の将来を、無意識のうちにも確信していった事でしょう。翻(ひるがえ)って弟ヤコブには、その事は、自分は「父からの祝福を受け継ぐ事ができない者なのだ」との欠損感を、陰に陽にもたらすものだったのではないでしょうか。
第二は、偏愛という事実そのものの根深さです。双子は、双子でありつつ異なっています。しかしその異なりに対して、両親でさえ、いや両親だからこそ、愛と承認の付与に関して偏愛に引きずられるという事が起きてきます。ここにはその一例が示されています。
じじつテクストは、祝福継承に当たって、イサク一家の中にその事実がむき出しの形で存在していた事を告げています。
第三は偏愛の理由です。イサクについては理由つき、リベカについては理由なしです。イサクの場合、それは自分の「好物」をエサウが提供するからだとされています。単純といえば単純、身もふたもないと言えば身もふたもない話です。しかしそれは、「偏愛」が、偏愛をする側の者の「自己愛」と絡まり合っているという事を示すものとなっています。さらに理由のないリベカの場合には、そもそも理由づけようもない、その意味で理屈抜きの「偏愛」というものが示されています。リベカとヤコブのその後の結託を見るとき、この理屈抜きの「偏愛」というものが、人間関係の実際の場面でどれほど強固でいびつな力を発揮するのか、そしてどれほど深刻な問題性を宿しているのか、その事を、この出来事はわれわれに突きつけています。
こうして、母からの自分への理由抜きの偏愛、父からの兄への偏愛、さらには自分自身が二人の姉妹のうち一方のみを偏愛するといった事々を通して、ヤコブ自身が、家族関係のなかで、偏愛という事実を何重にも生きてしまっています。こうしてヤコブは、母リベカの偏愛を水先案内にして、父イサクからの祝福を不正な仕方で奪い取ったのでありました。
しかし創世記は、同時に、このヤコブの祝福簒奪(さんだつ)の深い闇を、抉(えぐ)るように見つめていきます。
エサウは、父がヤコブを祝福したことを根に持って、ヤコブを憎むようになった。そして、心の中で言った。「父の喪の日も遠くない。そのときがきたら、必ず弟のヤコブを殺してやる。」 (二七41)
父からの祝福を騙し取られたエサウは、ヤコブに対する憎悪と殺意をたぎらせます。ヤコブを遠く逃亡へと追いやったのは、直接的にはこのエサウの憎悪と殺意です。しかし、そのエサウからヤコブを守るために逃亡の手引きをしたのは、またしても母リベカでありました(二七42~45)。しかもその逃亡に当たって、父イサクは、今度は自らヤコブを祝福しています(二八1~4)。こうしてヤコブは、兄の憎悪と殺意を逃れて、遠方の地パダン・アラムに住む母方の伯父ラバンの下に身を寄せます。しかし、その逃避行には、同族の中から「結婚相手を見つける」(二八2)という、祝福の継承に関わる両親の意向も働いていました。
こうしてヤコブは、ラバンのもとに身を寄せ、そこでラバンに服従し(二九28)、全力を尽くして働きます(三一6)。しかしその一方で、先にも少し触れたように、かつて家族のなかで「偏愛を受け」「祝福を騙し取る」人であったヤコブが、今度はラケルを「偏愛し」ラバンに「騙される」という苦い逆転を経験していきます(二九18 、23、三〇35~36、三一38~41 )。
ラバンのもとでの辛苦に満ちた逃亡寄留生活は、ヤコブの当初の目論見よりもはるかに長引きます。しかしヤコブは、ついにラバン一族との訣別を決断します(三一8 )。その決断の背後には、富み栄えるヤコブに対する、ラバン一族の鬱屈(うっくつ)した羨望と不信の念がありました。それがどれほど抜きがたいものであったのか、ラバンの息子たちは語ります。
「ヤコブは我我の父のものを全部奪ってしまった。父のものをごまかして、あの富を築き上げたのだ。」 (三一1)
この不信に満ちた言葉は、ラバンの下で全力を尽くして仕え働いてきたヤコブにしてみれば、悪意に満ちた言いがかりにしか聞こえなかった事でありましょう。かくなる上は、もうこの地にとどまり続ける必要はない。その時主の言葉がヤコブに臨みます。
「あなたは、あなたの故郷である先祖の土地に帰りなさい。わたしはあなたと共にいる。」 (三一3)
ラバン一族のもとでの辛苦に満ちた日々からの脱出、逃亡の日々の終焉、帰郷を決断する天来の時が遂にヤコブに訪れました。
しかし、ラバンの息子たちのこのつぶやきの中に、「奪って」「ごまかして」という言葉を聞きとめた時、ヤコブは愕然(がくぜん)そして
震撼(しんかん)したのではないでしょうか。その言葉は、期せずして、ヤコブにとって眼を背(そむ)けたくとも背けることのできない自己最深の闇を衝く言葉となっていたからです。これはヤコブにしてみれば、単なる偶然の一致とやり過ごす事のできるようなものでは到底なかったはずです。帰郷の決断とともに、その先に待ち受けるものが、ヤコブの記憶の深みから再び立ち上がり始めるそのとき、その一点を目がけるようにして突然聞こえてきた一語。「奪って、ごまかして」。
確かにこの「奪って、ごまかして」という言葉を語っているのはヤコブではありません。しかしその言葉は、ヤコブの記憶の深みを震わす言葉そのものであったはずです。誰よりもまずヤコブこそが語るべき言葉、それがここでラバンの息子たちの口を通して、ヤコブの深い闇を直撃したのですから。
こうしてヤコブの帰郷は、今や自身のかつての醜悪な所業の結果──兄エサウの憎悪と殺意──に、一歩また一歩と丸腰で接近してゆく道行きとなります。主の約束(三一3)のうちに歩み出すヤコブは、その道行きの前に立っています。そこにヤコブの抑えがたい恐れと不安の根があります。エサウとの再会が遂に目前に迫ったとき、その恐れと不安は一つの極点に達します。
兄エサウのいるエドム地方に近づいた時、ヤコブは様子見のため、使者を送り出します。その使者から、エサウがヤコブを出迎えるため四百人の供を連れてこちらに向かっていると聞かされます。
ヤコブは非常に恐れ、思い悩んだ(ルター訳:不安になった)。(三二8)
この「非常な恐れ」と「不安」を、「ヤコブは自分の死に恐怖したが、もしかすると殺さなければならないということに不安を覚えた」と、あるユダヤ人哲学者は読み解いています(E. レヴィナス『他性と超越』)。ヤコブは、自らの嘘により兄弟関係を根本から破壊しました。その事は、いまエサウの配下四百人の接近に直面するヤコブのうちに、兄によって自分は殺されるかもしれないとの非常な恐怖と、己が身を護るためその兄を自分は逆に殺すことになってしまうかもしれないという不安、この恐怖と不安を二つながらに惹き起したというのです。戦争というものの実相を抉り出すこの読解に、私は震撼します。
他者をコントロールしようとして発する嘘は、その嘘を語る者自身の魂を枯死(こし)させます。その結果それは、自己の内外に恐れと不安、憎悪と殺意を生みだすという事を、ヤコブは事ここに至って激烈に経験しています。
しかしわれわれはここでむしろ、ヤコブにその経験をもたらしたもの、それにこそ深く心を向けねばなりません。それはすなわち、ヤコブが生涯のある時点において、自らの最深部にある問題、さらにはそれがもたらした他者の憎しみに向かって、手ぶら丸腰で再出発したというその驚くべき事実です。
その彼は、エサウに対する「非常な恐怖と不安」に苦しみながら、しかし、近づいてくるエサウの集団四百人に向かって、わが身の安全・安心に関する保証を何一つもたないまま、一族の「先頭に進み出て、兄のもとに着くまでに七度地にひれ伏し」ます(三三3)。彼のその姿は、もはや多重の嘘で自らの身を塗り固めんとする者の姿ではありません。何が起きるのか予測のつかぬまま、そして赦される保証のまったくないなか「七度地にひれ伏す」とは、自らの退路を絶った全身的謝罪行為そのものです。
それを現実離れの理想主義と言って嘲笑う風潮が、われわれの時代を、そしてこの国を覆っています。しかしこの「七度ひれ伏す」ヤコブの愚直こそ、このわれわれの時代に向かって、このわれわれの世界に向かって、そしてわれわれ一人一人に向かって、創世記が、一点の妥協もなく示し続けている古くして新しい人間の姿(モデル)です。
テクストは、その彼が、再会したエサウによって一方的に奇跡的に赦されたと告げます。
エサウは走って来てヤコブを迎え、抱き締め、首を抱えて口づけし、共に泣いた。 (三三4)
ここには、エサウが何故ヤコブをこのようにして赦したのか、その理由は一言たりとも触れられていません。エサウの赦しは、説明なしの赦しとして、その事実のみがここに記されています。かくして、エサウが何故ヤコブを赦したのか、その理由が一切示されていないという事、それこそがヤコブ物語がここで伝えようとしている、一番大切な点なのだと思います。
今や何をしても赦されようのない自分が赦される。それは、赦された側の者にはそもそも説明できるような事態では毛筋一本もありません。それは彼の闇の現実を遙かに超えている出来事だからです。赦しが説明抜きに与えられたという事、ただその事実に圧倒されるしかない出来事、それがここでのエサウとヤコブの赦し赦される再会の場面全体を最も深いところで貫いています。われわれがここで目撃しているもの、それは説明不可能な赦しの事実です。赦されようのない自分がただただ赦されてしまったという原事実。テクストは、その原事実に与るヤコブとエサウの姿を、一切の説明抜きにただただ差し出しています。何と力強い、何と慰めに満ちたひたすらなる語りでありましょうか。
ヤコブの生涯に憑(と)りついていた問題は、このとき遂に突破され始めます。この再会の出来事の直後、エサウの全存在的な赦しを受けたヤコブは告白します。
「兄上のお顔は、わたしには神のみ顔のように見えます。」 (三三10)
これは、ヤコブとエサウとのここでの赦しの出来事を読み解くための暗号のような言葉です。ヤコブはここで初めて、兄エサウの顔を直視しています。そのときこのエサウの顔は、ヤコブには「神のみ顔のように」見えたと言うのです。ヤコブは、この箇所の直前で、ヤボクの渡しで何者かと夜を徹して格闘をしています。そこで彼は、
「顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている。」 (三二31)
と告白しています。闇の中での格闘時には、エサウとの再会を前にしての恐怖と不安が、ヤコブの魂を襲っていたはずです。「何者か」とはその意味で、前後不明の闇の中で格闘を続けるヤコブにとっては、エサウの影を何らかの仕方で帯びていたに違いないと私には思われます。
しかし驚くべきことに、それは「神」(29)であったとヤコブは告白しています。この告白こそが、ヤコブその人にエサウへの丸腰の接近をもたらすもの、すなわちヤコブ再生の転換点を画するものとなっています。しかもそれは、二重の再生経験となってヤコブを自らの闇のなかから新たに立ち上がらせています。すなわち神と顔を合わせたのになお生かされ、兄と顔を合わせたのになお赦されたという二重の再生経験です。それゆえ、兄の赦しとは、ヤコブにとってそのまま神の赦しの暗号符であったのだと思います。それを示しているのが、先の「兄上のお顔は、わたしには神のみ顔のように見えます」という不思議な言葉です。しかしそれはヤコブにとっては不思議でも何でもない、そうとしか言いようのない言葉だったのだと思います。
瓦礫の中から日夜あげられている悲嘆の叫び。そのひびきが、異常に狭くなったこの世界のなかで、いまこの国この自分を震わしているのだという事に立ち戻るとき、ヤコブとエサウの物語は、このわれわれのフェイクとプロパガンダの時代に向かって、それに抵抗しその闇から解き放たれていく新しい人間の現実、「兄の顔を神のみ顔のように見る」現実、すなわち神のみがなしたもう現実を、われわれに証ししています。その事に震撼しつつ、この時代この世界の無惨のなかにあって、しかし繰り返し新たに、このわれわれに手渡されている証しに出会い直し、偽の現実を打ち破られて、ともに祈りともに労する者とされたい。そう切に祈り願うものです。
Comments