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わが時はすべてなんぢの御手にあり 山本 精一【2023/12/10】待降節第2主日礼拝


詩編第31編10節〜17節

31編をテクストにして、2023年の待降節第2主日の礼拝を守りたいと思います。ところで、本詩篇の大きな特徴は、この詩篇が、1つには嘆き・苦しみ、また今1つには感謝・讃美という、2つの相異なった性格を湛えた告白内容が密接に絡み合って全体を成しているという点にあります。


先ず、詩人は、個人的な嘆きと苦しみとを歌うことから始めています。そして、その後も全編を通じて、嘆き苦しみを叫び訴える声が、度々にわたって上げられていきます。この嘆き苦しみの激しさゆえに、本詩篇は古来、個人の嘆きを主題とする詩篇群の1つに数えられてきました。しかしながら、それと同時に、その詩人は、その嘆き苦しみの叫び訴えだけではなく、それらと切り結ぶようにして、感謝、讃美の声を上げています。こうしてかたや嘆きと苦しみが、かたや讃美と感謝が、この詩篇においては、ゴブラン織りの織物のように濃密に織りあわされて歌われています。こうして、本詩篇の詩人は、自らの嘆き苦しみを叫び訴えつつ、かつまたそれと密接に絡み合いながら感謝讃美の告白の声を上げています。詩人は、その2つの異なった種類の告白のどちらか一方を主とし他方を従とするというような行き方をとっていません。詩人にとっては、嘆き苦しみも感謝讃美も、まったく同じ重みをもって、その魂の奥底から発せられています。


しかしこれに対してわれわれ現代人は、嘆きと讃美とはそもそも性格をまったく異にする2つの別々の人間的な情調であって、両者は相容れないと端から決めつけがちです。そのようなわれわれにとって、この2つの要素が緊密に組み合わさって織り上げられている本詩篇には、率直に言って、すんなりとはついていけない面があります。じっさい、その2つの告白のそれぞれの性格を別々に検分するならば、確かに両者は大きく異なっていると言わざるを得ません。ここで常識的な見方を押し立てるならば、両者は相反しているとさえ言えます。しかしながら本詩篇においてわれわれが出会っているのは、そのように異なったあるいは相容れないとさえ思える2種類の告白が1つの詩として歌い上げられているという、テクストそのものの側の動かしがたい事実です。


そうは言うものの、今述べてきた点に対して、われわれは、正直に言ってやはりどこか釈然としない、いやそれどころか俄かには受け容れがたいという思いをもたざるを得ません。なぜなら、われわれが嘆き苦しみを経験するとき、われわれはその嘆き苦しみが深ければ深いほど、そしてそれに打ちのめされれば打ちのめされるほど、その嘆き苦しみのうちに閉じ込められて、それ以外の事に心を向けていく事が極めて困難になるからです。そのような悲哀の経験を味わうとき、人は誰しもこの嘆き苦しみのうちに深く沈みこまざるを得ません。だからこそ、われわれはこの詩篇を前にして、問わずにはいられません。詩人よ、あなたはどうしてこのような告白をなすのか、と。われわれは、この詩人について、そう簡単に分かった風を装うことはできません。むしろわれわれにとって、この詩人は、何よりも謎めいた人だと言わねばならないでしょう。われわれは本詩篇において、そのような詩人に出会っています。


詩人は、われわれから見れば、確かに古代パレスティナの人、すなわち大昔の中近東世界の一角に生きた人です。しかしその大昔の人は、激しい苦難のなかで、われわれの現代風の感覚では歯が立たないような告白をなしつつ生きた人、そのような生き方を真剣に生き抜いた人でありました。その生き方は、われわれに対して、苦難に面した人間の1つの原型的(アーケ的)あり方(タイプ)を歴史のなかに刻み出しているように私には感じられます。もしもじっさいそのように言う事がいかばかりか許されるとするならば、この詩人は、現代のわれわれが見失っている生き方を根本的に提示している人であり、それゆえ、いま筆舌に尽くし難い歴史の悲惨と暴虐に直面しているわれわれの現在に向かって、そしてさらにはその先の未来に向かって、1つの古くしてしかし新しい人間のモデル、それはとりわけ「待つ」という事に深く関わるものとして、待つ人間の1つの原型的な姿を根本的に提示し体現しているのではないのか。本詩篇を学びゆくなかで、私は今この歴史的窮境(きゅうきょう)のただなかにあって、そのような思いを問い質されるようにしてもつものです。


凄惨な国家暴力によってずたずたに寸断破壊され続ける世界、原子爆弾・原子力発電という魔力に舌なめずりをしながら、「核によるホロコースト」がいついかなるときに起きてもおかしくはない現実から、群れを成して目を背け続ける世界。そのような世界のなかに自他ともどもに投げ込まれているわれわれにとって、一体これからの時代を、この廃墟と瓦礫(がれき)が膨張し続ける世界のなかで、なおどのように構想しどのように生きていけばよいのか、そのなかでそれにもかかわらずなお希望をもって未来を待ち望むという事がどうしたら可能なのか。われわれが今ここから遠くに望み見る人間、すなわち現在から未来を担いゆく人間とは、どのようなあり方をとるのか。世界史的な破局の予兆の翳に怯えながら、自ら出口なしの深い混迷のうちにあるという事を告白しつつ、そうしたなかで今日取り上げる詩篇を顧みるとき、われわれの同時代の人間、やがて来る未来の人間の姿を、この古い詩篇のなかにいささかでも聞きとることはできないか。この年のアドベントに当たって、そのような途方もないしかし切実な問いと求めを内に抱えながら、テクストに向かって参りたいと思います。


先ず初めに、詩篇31編を、多くの研究者のまとめ方に倣って、大きく2つの部分に分けておきたいと思います。そうすることで、2節から9節までを前半とし、10節から最後の25節までを後半として読んでみようと思います。この前半・後半の部分は、それぞれがともに嘆きと訴え、信頼と感謝を歌っています。したがって前半で歌われた内容が、内容的には後半においてもう1度、しかしさらに立ち入って歌い重ねられていくという二重構造をこの詩篇はなしています。それゆえこのように分けることで、ひとつの詩篇のなかで、同一の性格をもつ告白が、しかし言葉も新たに多重的に歌われていくという、この詩篇独特の厚みをもった構成が浮かび上がってきます。


初めに前半部を見ますと、2節冒頭、詩人は先ず主ヤハウェのもとに「身を寄せて」います。「御もとに身を寄せる」の「御もとに」と訳されている言葉は、原文では「あなたに」という1語です。それゆえ「御もとに身を寄せる」という事は、この詩人が人に身を寄せるのではなく、むしろ人のうちから逃れて、ヤハウェのもとに「あなた」と呼びかけつつ身を寄せねばならなかった人であったという事を示しています。その際、その「あなたに身を寄せる」という言い方は、具体的には、神殿聖所に保護を求めて逃れこむという、緊急避難を連想させる言葉遣いになっています。こうして、この冒頭1文からして、この詩人の置かれている状況が極めて険しく切迫しているという事が、強く示唆されています。それに直ちに続けて、詩人は5節前半までのところで、4つの願いと訴えをヤハウェに向かって立て続けに発しています。


私を助けてください。(2) あなたの耳をわたしに傾け急いでわたしを救い出して下さい。 ( 3 ) 救いの岩、城塞となってお救い下さい。 ( 3 ) わたしを守り導き……引き出してください。 (5)


3節にある「急いで」との1句は、詩人が1刻の猶予もないほど追い詰められているという、それこそ急を告げる1句です。彼は恐ろしい迫害と圧迫のなかで、生命の危機に瀕して声を上げています。ヤハウェに対する「砦の岩、城塞」となってほしいとの嘆願は、まさにこのような危急存亡のなかから発せられている求めに他なりません。


2節で「恵みの御業」と訳されている元の語は、義、正義(ツェダカー)という語です。したがって直訳すると、「あなたの義のうちで」となります。詩人は人間たちががなり立てる「義」「正義」のゆえに苦しめられている、いやそれどころかそれによって生命の危機にさえ瀕している。だからこそ、「人間の義」ではなく、「あなたの義」、ヤハウェの義の1点にのみ依り頼み、そこに身を寄せんとしています。しかし詩人が「あなたの義」のうちに助けを求めるという時、彼は一体何を求めているのでしょうか。


それを示すのが3節

あなたの耳をわたしに傾け

という1句です。詩人は、ヤハウェが自分の叫びに耳を傾ける事、その一事を求めています。しかもその事は、寸刻を争うほどに急を要するものでありました。


急いでわたしを救い出して下さい。 (3)

以上の事から詩人は、執拗に押し迫る暴力的な迫害者たちによって大きな危険に曝されていることが読み取れます。先の「砦の岩、城塞」とは、この強圧的な迫害を蒙る者の叫び求めに他なりません。その危険の内実が、5節でさらに明らかにされます。詩人は、彼を陥れようとする者たちのたくらんだ罠に落ちたと述べています。そこには罠にかかった獲物のあがきのような、どうにもならない慙愧悲憤(ざんきひふん)の念が滲み出ています。彼は、そのような邪悪な敵の手中に落ちています。


しかしそのような不義不正の窮迫のただなかで、5節後半では、3節同様、再び「砦」が出てきます。しかし3節ではヤハウェに「砦になってほしい」と願い求めていたのに対して、4節、5節ではそれが確信の1語に変わっています。5節は、原文では、英語のbecause にあたる接続詞(「キー」)が用いられていますので、ここは「なぜならあなたはわたしの砦なのですから」と読んでおきたいと思います。こうして詩人は、この箇所において、「砦なるヤハウェ」に関して、「願い求め」から「確信」へとその姿勢を変化させています。これは一体どういう事なのか。どうしてそのような事が起きているのか。それは後に考えてみたいと思います。

6節に入るや、そこには驚くべき告白が出てきます。


わたしは、わが魂をみ手にゆだねます。主、まことの神よ、あなたはわたしをあがなわれました。 (協会訳)


悪辣な謀をたくらむ迫害者たちに命を狙われている詩人は、しかしここで自らの命を主ヤハウェの「御手」に委ねています。「委ねる」とは、これは自分のもの、これも自分のものと自らの手に握りしめていたものの一切を手離していくという事、のみならず、握りしめているその自分自身をこそ、ヤハウェの手に手渡し明け渡していくという事です。何事も自分が、自分がと自分のことしか眼中に入らない、そのわれわれの性根に深く深く巣食っているあり方から決定的に解放されるという事、その事がここで詩人の全存在に起こっています。私への飽くことのない折れ曲がり、屈折から引き離され、主の御手のうちに委ねていくという事。 大いなる転換、大いなる解放が起こっています。またここで「わが魂/わたしの霊」と訳されている原語は、息とも命とも風とも訳されるルーアッハというヘブル語ですが、ここでは根本的に言って、創世記2章7節にあるように、人(アダム)を命あるものにするものの事であって、そこから「わが魂をみ手にゆだねます」というここでの表現は、「命ある私の全存在をゆだねます」と言っているのに等しい、究極烈々たる表現であることに深く注意をしなければなりません。この「わたしは、わが魂をみ手にゆだねます」という言葉こそ、新約聖書のルカ文書(ルカによる福音書・使徒言行録)が、イエスと使徒ステファノの最後の言葉として、イエスとステファノの受難の決定的場面を伝えるために、その場面に刻みつけている言葉です。ルカによる福音書は、それを十字架上のイエスの最後の言葉として以下のように書き記しています。


イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手に委ねます。」 (2346)

また使徒ステファノもまた、殉教の場面でこの言葉を語ったと、ルカは『使徒言行録』で証言しています。


人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。 (759)

詩人はこの言葉に続けて、「主、まことの神よ」という呼びかけの言葉を発しています。この「まことの神(エール エメット)」、あるいは「神のまこと」という事は、神への呼びかけの決定的な1語として、旧新約聖書を1貫するものです。さらにこれに「憐れみ(ヘセッド)」という語も含めて「憐れみとまことの神」こそ、聖書が過去・現在・未来を貫いて告白する神に他なりません。その「まことの神」の前でこそ、「空しい偶像」というものの「空しさ」が、「まこと」ならざるものとして全面的に露わにされてきます。「空しい偶像」とはその意味で、「神の憐みとまこと」を測り縄とすることで、初めてその空しさの実態が暴露されてくるものだと言わねばなりません。こうして詩人は7節から9節にかけて、この「まことの神」「慈しみの神」(8)への「信」(7)を告白してゆきます。その告白に重ねて、彼はさらにあなたはわたしの苦しみを御覧になり わたしの魂の悩みを知ってくださった。 ( 8 )

と告白しています。


しかし「神が御覧になる」「神が知ってくださった」とは、いったい何を言っているのでしょうか。「見る」とか「知る」といった事は、先ず第1に人間について言い得る事です。それを神がなすという時、それは神をあたかも人間のようなものと夢想しているだけの事ではないのか。仮に神がもしもそのような人間並みのものに過ぎないのだとすれば、それは結局のところ、直前でこの詩人自身が「憎む」という強い語調で対峙していた「空しい偶像」とどこが違うというのか。この急所を突く正当な問いに対しては、頭や口先だけで答えることはできません。それは、1人1人自らの生涯を賭けて決すべき問題だからです。その賭けに身を投ずることなく、その賭けの手前に立ったまま、いわば外野からこの問いに決着をつける事はできません。信をもってこの問いに立ち向かう。その土俵に立たぬ限り、この問いは人間にとって永遠に未決の問いです。そして今ここでその問いに答えている者、それが「わが魂を御手に委ねます」と告白したこの詩人その人です。


敵の罠からの救いを経験したと告白する詩人は、ここで「空しい偶像に頼る者」と対決しています。しかしそれだけでは済まなかったはずです。その対決のなかで、今度は取って返して、その問題が自分自身についても降りかかってくる事に彼が素知らぬふりをしていたとは到底思えません。その彼が、何よりも当の自分が作り出す「空しい偶像」との対決について、御茶を濁し続けるような人だったはずがないからです。11節は、その消息の1端を告げています。そこでは新共同訳は「罪のゆえに力は失せ」となっていますが、伝統的な読み方に従えば、「わたしの不義のゆえに力は失せ」と「私の」という言葉を加えて読むべきところです。その読み方は、詩人が自らのうちに、「わたしの不義」と言わねばならぬ問題を自覚していたという事を示唆するものです。


その彼が最後の拠り所としたもの、それが、彼の苦しみを「あなた」なるヤハウェが「御覧になり」、彼の魂の悩みを「あなた」なるヤハウェが「知ってくださった」と言う事でありました。それはそうとしか言いようのなかった経験、そのような言い方を通してでしか指し示すことのできなかった彼の最も内奥に臨んだヤハウェとの交わりの経験でありました。その交わりの経験がこのような言葉によって告白証言されています。詩人のここでの告白は、そのヤハウェなし給う御業という1点に集中しています。そのようにしてヤハウェの側から一方的に与えられてきた交わりの働きかけ、すなわちわれわれの側の主観的願望、空しい偶像の一切を打ち砕くヤハウェのイニシアティブというものに深く心を向けたとき、詩人は狭く暗い所から、


わたしを敵の手に渡すことなく わたしの足を 広い所に立たせてくださいました。(

9)


という喜びと感謝の歌を躍り上がって歌いつつ「広い所」に立つ者となっています。

しかし10節に入ると、詩人の告白はその直前の感謝の歌から、その様相を再び1変します。今朝初めに申しましたように、本詩篇はここから第2部とも言うべき新たな展開に入って行きます。そこにおいて詩人は、あらためて「苦しみ」( 10 )と「嘆き」「呻き」(11)の暗い底べに下降していきます。その深淵の中から、彼は「主の憐れみ」を求めています。


主よ憐れんでください。 (10)


この言葉は、前半部の詩人の告白全体を承けて発せられているものです。その事に思いを潜めるとき、前半部の告白の上にさらに重ねて、ここで「主よ憐れんでください」と新たに叫び始めたときの詩人の息遣い、それは前にも増して烈しいものであったのではないか、そのように想像せずにはいられません。以下14節までの内容は、さらに立ち入った仕方で、詩人の置かれている状況の過酷な困難さを歌っています。10節11節は、このときの詩人の全身状況を「衰え」(10)の1語によって示すとともに、その「命」と「年月」が「尽きていく」という、迫害の中にあって弱り衰えていく詩人の苦しみが記されています。しかもその彼を敵は「嘲り」(12)、剰え敵はおろか「隣人」さえも嘲りの輪に加わり、さらに「親しい人々」からは「恐れられ」、「避けられる」と、ヨブの如き不条理が呻きつつ訴えられています。その行き着く果てに、詩人は自らを「死者」そして「壊れた器」に譬えています(13)。これほどまでに露骨な譬えを詩人が用いていること、そこにこの詩人が生きながら経験している不条理がどれほど苛酷なものであったのかが暗示されています。前回見た詩編106編の「破れ口に立つ人」のビジョンに言寄せて言うならば、この詩人もまた、人間が作り出す底なしの「破れ口」に立たされています。これに加えて、14節では、詩人を取り巻く者たちの陰険極まりない策動が詩人を取り囲み、彼の命を奪おうとたくらんでいると訴えています。


ところが、15節に至るやまたしても1転して、詩人は死を覚悟せねばならない脅迫のただなかで、ヤハウェへの信を告白しています。冒頭に申し上げた、われわれが躓きをおぼえざるを得ないと言った急激な転換が、こうして重ね重ねなされています。ここで「あなたこそわたしの神」という言葉が、新共同訳では鍵括弧で括られて記されています。それは旧約学の研究成果に基づいて、この言葉が、元来、当時のヤハウェ信仰者たちが用いていた「あなたこそわたしの神」という信仰告白定式からの引用であるという事を示すためのものです。直前で見たように、詩人はこのとき、敵、隣人=同胞、親しい人々から、その交わりを幾重にも断たれるという孤絶のなかに追い込まれています。それは、民の共同体からの全面的遮断を意味します。過酷な自然状況のなかで生きていた古代イスラエルの人々にとって、この民の共同体、親しい者たちとの結びつき・助け合いは、それぞれの地で生きのびていくために、何よりも彼らが必要としていたものでありました。しかし詩人は、まさしくその結びつきから今や徹底的に断たれています。彼の苦衷悲哀の深さを思わずにはいられません。しかしここでこそ、その詩人が「あなたこそわたしの神」という告白をなしています。それはこの告白をまことをもってなしてきた過去の信仰者たち、さらには、この告白をまことをもってなすであろうやがて到来する信仰者たち、それらの今は不在の信仰者たちとの結びつき・共同に向かって身を延ばしてなされている告白です。その意味で、敢えてなされている告白です。その告白を今彼と共同して行おうとする人は、少なくとも彼の周りには1人もいないという事、その事は誰よりも詩人自身が痛ましく経験させられている事です。しかし彼の心の まなこ眼は、このとき、その事には向かっていません。神を仰いで「あなたこそわたしの神」と心から告白する信仰共同体、かつてあり、そしてやがて来る信仰共同体を望み見て、その1点目がけてこの告白をなしています。その告白を最終的に支えているもの、それが次の16節で露わにされてきます。


わたしにふさわしいときに、御手をもって・・・・・・助け出してください。

しかしながらこのあまりにも手の込んだ新共同訳をここで私は取ることができません。ここは原文に忠実に訳している協会訳ないしは文語訳を取りたいと思います。今朝の説教題は、この箇所の文語訳から取っています。あらためて文語訳で読み直します。


わが時はすべてなんぢの手(みて)にあり。


この「なんぢの手(みて)に」という言葉は、6節の「われ霊魂(たましひ)をなんぢの手(みて)にゆだね」と歌われていた時の「なんぢの手(みて)に」という部分とまったく同じ言葉が用いられています(ベヤドゥハー)。しかも両節ともこの言葉をひとしく節の冒頭に置いています。強調されているのです。この「なんぢの手(みて)」こそ、本詩篇の詩人の嘆きと苦しみ、そして讃美と感謝との間で繰り返される激しい転調の一切を1つにしっかと繋いでいる核心の1語だと私には思われます。そしてそれこそが、詩人の根本経験なのだと思います。自らの時代にあって、想像を絶する深刻な破れ口に立つ詩人、その詩人が1身に体現している人間のあり方、古くしてしかし決して古びることのないモデル、その根幹を支えているもの、それがこの「なんぢの手(みて)」なのではないでしょうか。

「なんぢの手(みて)」への集中は、われわれのまなざしを自分自身から引き離します。われわれのまなざしが自分自身から引き離されるとき、そのとき初めて、われわれは「待つ」という事柄の中に入って行くことができるのだと思います。自分が自分がと、どこまで行っても自分自身へと折れ曲がっていくところからわれわれ自身が引き離されていくとき、そのとき初めて、われわれは「待つ」事を学び始めるのだと思います。その意味で、「なんぢの手(みて)」へと集中していく事、それこそがまさに「待つ」という事を支える一事なのだと思います。そのようにしてわれわれに贈り与えられてくる「待つ」ことのなかで、われわれはこの時代に到来される御方、神の決定的な御手に他ならないひとり子に集中していく時をともどもにもってゆきたいと願います。「わが時はすべてなんぢの手(みて)にあり」。

その時われわれは、同時に、「なんぢの手(みて)」がこの自分自身だけに伸ばされているのではないという事に心しなければなりません。この時代のただなかでこの手を必要としている人々、そしてこれから来る時代この手を必要とする人々、その人々に向かってこの御手が伸ばされているという事に、心をこめて注意していかねばなりません。その時われわれの手は、この「なんぢの手(みて)」のうちで、新たにその「なんぢの手(みて)」に用いられる者として呼ばれているという事。その事に小なりといえども、応えていく者とされたいと切に願います。


ちょうど今から4年前のこの時期、アフガニスタンの地で突然の敵に襲われて命を落としていった中村 哲の生き死に、そこに私はこの詩人のうちに刻み出されている古くて新しい人間のかけがえのない1つのモデルを、あらためて噛みしめるようにして想い起しています。その想起のうちで、この年のアドベントの時を迎えています。彼の歩みは暴力的に絶たれました。しかし彼を通して示された人間のモデルは、この暴力が地を覆い尽くそうとしている時代、そしてその先に来る次の時代を照らし出す1つのビジョンとして、くず折れそうなわれわれを励まし続けるべく屹立しています。


アドベント、われわれのまなざしを自分から引き離して下さる御方へと、日々心を向けつつ、共々に歩んで参りたいと思います。

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