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破れ口に立つ者 山本 精 一【2023/11/26】

詩編 第106編19〜23節
ローマの信徒への手紙第11章22節

今朝は、ただいまお読み頂いた詩篇106編に心を向けていこうと思います。この詩篇には、1読してすぐに気づくように、イスラエルの歴史を批判的に回顧する詩句が多々見受けられます。その際、その内容は、主として、出エジプト記やレビ記、民数記、申命記の記事を下敷きにしており、それを詩人は自分なりに再構成するかたちでこの詩(うた)のなかに取り入れています。こうして本詩篇は、イスラエルの歴史に関するモーセ5書の記録を参照しつつ書き記されたものとなっています。このようにイスラエルの歴史を直接の題材としている詩編はこれ以外にも幾つか見られ、例えば、78編、105編、136編などはそのような詩篇のグループに分類することができます。その際、これらの詩篇が歌う古のイスラエルの歴史物語は、詩人はもとより、当時のイスラエルの人々であれば誰もがよく聞き知っていたであろう、その意味でイスラエル民族に周(あまね)く知られていた物語でありました。それらは、ユダヤの民が折にふれては想起し、自ら対話の相手となしてきた物語でした。その場合、彼らにとって、古のイスラエルの歴史を想起するという事は、単に昔を懐かしむためになされたのではありませんでした。それはむしろ、現在の自分たちのありようを知るために彼らが必須不可欠とした事でありました。歴史の想起とは、彼らにとって、自分たちはいったい何者なのかという事を見失いかけたとき、その姿を照らし出す鏡に他なりませんでした。では、この詩人は、この106編において、そのイスラエルの歴史をどのように受けとめているのでしょうか、すなわち自らもその1員であるイスラエル民族の歴史に詩人はどのように向き合っているのか、そのことを先ずこの詩篇のうちにたどってみようと思います。その事を通して、民族の共同体の歴史に対するこの詩人の根本姿勢を探ってみたいと思います。しかしそのようにしてこの詩篇に向かっていくとき、それは同時に、われわれに向かって問いかけてきます。というのも、それは、取って返して、この時代、この国に生きるわれわれ自身のこの国の歴史に対する姿勢を、そして何よりも私自身の姿勢を厳しく問い質すものとなって迫ってくるからです。かくて、詩篇106篇を問うことで、その106篇から逆に現在のわれわれが問われてくるという事が起きてきます。そのような聖書テクストとのやり取りの中に入って行こうと思います。


詩篇106編は、全部で48節から成るかなり長い詩篇です。その全体は大きく4部に分けることができます。7節から46節がいわば中間部として、1つの大きなまとまりをなしています。そこでは、初めに申したイスラエルの、とりわけ出エジプトのなかで起きた出来事に関連する象徴的シーンが区々取り上げられています。それらが幾つものまとまりをなして中間部で展開されていきます。その長い中間部を、1節から6節までの導入的部分と47節が、枠のように前後から挟み込んでいます。最後の48節は、今朝はこの詩篇の前半部に集中するのでそれとして詳しくは触れませんが、これはまた固有の性格を持つものとして、47節までの1連の本文全体とは一応区別しておく事にいたします。


第一部は、まず「ハレルヤ」という礼拝の場で発せられる誉め讃えの言葉と感謝の言葉とをもって始められます。本文とは一応区別しておくと申し上げた最後の48節もまた、この「ハレルヤ」(48)で終わっています。すなわちこの詩篇106編は、形式的にはハレルヤに始まりハレルヤで終わる詩篇となっています。3節は、山上の説教におけるイエスの祝福の言葉「幸いなるかな」を彷彿とさせる、「幸いなるかなアシュレー」という言葉で始まっています。この箇所を協会訳で見てみますと


公正を守る人々、常に正義を行う人はさいわいである。


となっているように、ここでの祝福は「正義ツェダーカーの人」への祝福であることが分かります。4節と5節では、ヤハウェに向かって「あなた」と呼びかけつつ、


主よ、あなたが民を喜び迎えられるとき わたしに御心を留めてください。

御救いによってわたしに報いてください。

あなたの選ばれた民に対する恵みを見あなたの国が喜び祝うとき共に喜び祝い

あなたの嗣業の民と共に誇ることができるようにしてください。


と、繰り返し詩人の嘆願の言葉が発せられています。

しかし6節に入ると


わたしたちは先祖と同じく罪を犯し不正を行い、主に逆らった。


という瞠目(どうもく)すべき告白、罪責と悔い改めの告白が、直前の感謝と誉め讃えの言葉を引きとるようにして告白されています。その際、そこには「先祖と同じく」という見過ごすことのできない1句が記されています。先祖の罪を後続世代の者が口ごもることなくはっきりと告白する。それは、並大抵のことではありません。さらに当時のイスラエルの状況を思いみるならば、それはどれほど勇気の要る事であったかと言わねばならないでしょう。イスラエルの先祖代々の伝統を重んじる、いわゆる「愛国者」と称する人々からすれば、この部分の告白は恐らく聞き捨てならないものであったはずだからです。その意味でこれは、激しい反発や敵意の的となる1句です。傲岸なイスラエル中心主義者からは、決して生まれてこない1句です。しかも6節は決して口先だけで語られている言葉ではありませんでした。過去の歴史の具体的内容を1つ1つ見据えるものでした。その具体的内容がこの後、イスラエルの出エジプトの歴史を振り返る第2部で、1つ1つ取り上げられていきます。その意味でこの「先祖の罪」というごく短い1句は、この詩篇の中枢をなす、地味ではあるけれども決定的に重要な1句だと私には感じられます。


今駆け足で見てきた第一部の内容をもう少し立ち入って見ておくならば、それは先ず、歴史における「主の力強い御業」(2)に注意を集中しています。その御業を貫くヤハウェの豊かな慈しみ(ヘセッド)を誉め讃えるべく(7、45)、「ハレルヤ」という誉め讃えの言葉と「感謝せよ」という言葉が、開口一番、発せられています。こうして誉め讃えと感謝の言葉は、何にもまして「主の力強い御業」に向かって発せられています。それは、イスラエルが歴史のなかで経験してきた決定的な救いの出来事、つまり出エジプトの出来事を指すものです。ヤハウェなし給うその救いの出来事が、礼拝祭儀の始まりにおいて朗々と歌い出されます。


ところが、その言葉にすぐ続けて、嘆願と罪責の告白と悔い改めの言葉とが告白されていきます。そこで詩人は、ヤハウェの慈しみに満ちた力強い御業を誉め讃えながら、しかしそれと同時に、その慈しみに与ったイスラエルが実際のところ罪と不義に覆われているのだと告白しています。そこで詩人は、自らその1員たるイスラエル共同体の歴史的な破れ、今の言葉で言えば負の歴史に、時を遡りつつそして何よりもヤハウェを仰ぎつつ直面していきます。その事を示しているのが、この第一部の最後に出てくる、主に縋りゆく嘆願の祈りと「わたしたち」による共同体の罪責の告白と悔い改めの祈りです。こうしてかたや誉め讃えと感謝、かたや嘆願と罪責の告白と悔い改め、これら何れの一方をも欠かすことなく、両者は組み石で組まれたアーチのようにしっかりと組み合わさって歌われています。


しかし5節の「あなたの国が喜び祝うとき共に喜び祝い」という言葉には、「共に喜び祝えない」状況を嘆き悲しむ声がこだましています。その事態をさらに率直に歌っているのが27節と47節です。


子孫は諸国の民に倒され 国々の間に散らされることになった。

わたしたちを救い諸国の中からわたしたちを集めてください。


ここには、国を追われ諸国の中に散らされてしまった者の嘆きが響きわたっています。これらの詩句から推して、本106編は、恐らくバビロン捕囚後に成立したものであろうと考えられます。神の民が国々に散らされてしまった。捕囚後のその痛ましい歴史的現実のなかで、詩人は、その散らされた民を「集めて」ほしいと心から願っています。こうして、4節5節の嘆願の背後にあるのは、「わたしたちは散らされている」という嘆き悲しみです。その嘆き悲しみが、6節で悔い改めの祈りへと移行します。


感謝と誉め讃えから始まった第一部は、今や嘆き訴える「わたしたち」による罪責と悔い改めを告白するものとなっています。しかもそれは、今この時だけを視野においてなされている告白ではありませんでした。自分たちの共同体の決定的な始まりを画したもの、その始まりの時代にまで遡って、ヤハウェに背いた先祖たちと同様の罪のうちにあるのだとの、雄大な歴史的視野のもとで罪責の痛切な告白がなされています(6)。こうして第一部の最後において、詩人は、自分たちは先祖たちと同様、神の慈しみ・愛・憐れみ(ヘセッド)を蔑ろにし不正を行ってきたのだとの告白をなしています。詩人はここで、先祖たちの罪責と今の自分のあり方が深いところで繋がっているという事を、ヤハウェの慈しみを前にして深く自覚しています。その自覚のなかで、彼らの罪責をわが事として痛みをもって受けとめています。しかしまた同時に、その罪責告白の根底には、今述べたように、主の慈しみへの深い感謝が静かにしかし脈々と流れていることを忘れるわけにはいきません。なぜなら、主なる神の慈しみへの感謝のうちでこそ、自分たちの深い罪責を告白していくという事が起きているからです。こうして、主の憐れみへの感謝の告白と罪責の告白とが、組み石で築かれた堅固な城壁のようにがっしりと組み合わさって、告白されています。


この第一部を受けて、7節から46節に至る第2部が始まります。今朝はこの箇所全体を取り上げることはできません。ただ、幾つかの箇所に立ちどまりながら、先ほど司会者にお読み頂いた箇所を目指して読んでいきたいと思います。ただ本文に入る前になお1言付け加えておくならば、この箇所全体は、何れも、イスラエルの出エジプトの歴史のなかで、民が指導者モーセやアロンに対して執拗に繰り返した呟き、背き、不信、反逆を、他の旧約文書(モーセ5書)の記事を詩人なりに再構成して展開されています。その事を念頭に置きつつ、先ず7節から12節を通して、詩人がイスラエルのエジプト脱出の歴史をどのように受けとめているのか、その事を見ていきたいと思います。


ここで詩人は、6節で述べていた「先祖の罪」を告白しています。それを詩人は先ず7節において、「目覚めず、心を留めず、反抗した」という3つの動詞によって示しています。初めの「目覚めず」とは、注意を集中させなかった、ぼんやりとやり過ごしていたという事を意味します。それは2番目の「心を留めず」という言葉とも相通ずる意味をもつもので、同様の語を反復して意味の強調を行う、へブル的強調の文体となっています。それらが示しているのは、ぼんやりと軽薄にやり過ごす、まったく別の事に心を向けている、見ていて見ず、聞いていて聞かずという事態であって、そうした有様のなかで決定的に重要な出来事がいつしか慣れきってどうでもよいものとなるという事が述べられています。詩人は、日々の惰性に押し流され、いつしか何が大切なことなのか、その順序をすっかり見失っていく人間の姿を、この出エジプトの出来事の渦中にあったイスラエルの民の有様そのもののうちに痛切に見とっています。この事は、笑って済ませられるような不注意話ではなくて、紅海=葦の海での奇蹟という、イスラエルの民の精神の奥底に消し去りがたい印象を刻みつけたはずの、その意味でかけがえのない民族的記憶さえもが、当の出エジプトの現場にあって既に曖昧に扱われていたという致命的な不注意についての罪責告白となっています。すなわち破局は、出エジプトの初っ端からすでに始まっていたというのです。民族の驚くべき救いの出来事のさなかにあって、既にぱっくりと暗い破局が口を開いていた。驚倒すべき告白がここでなされています。立つか倒れるかの深淵のうちにあったイスラエルが、遂に救われるという決定的一事を経験しながらも、しかしそれをしも初めから粗末に扱っていた。その事を詩人は強調してやみません。


しかしそれにもかかわらず8節以下では、そのような彼らに対して、ヤハウェの溢れる恩寵が、エジプト脱出の奇蹟の出来事となって示されたのだと述べられています。それは内容的に見れば、1節2節の単なる反復だとも言えます。しかし8節は、7節での先祖の深い罪を告白した後でなお語られている言葉です。それゆえ、ヤハウェは、7節が記す先祖の重々たるヤハウェへの不信実に屈することなく、なおも「力強い御業」を現わして下さったのだと程度を増した告白となっています。9節から11節のまとまりからは、イスラエルが出エジプトで直面した恐るべき危機と、その危機から脱出できたという救いの出来事への桁外れの喜びと安堵が伝わってきます。その事のなかで、先祖たちは「信」を呼びさまされ(12)、ヤハウェを賛美したと歌われます。しかし詩人は、その喜びの調べを1転して引っくり返します。すなわち取って返して、その信、その賛美は、決して長続きしなかった。そう断じます。


彼らはヤハウェの業を「たちまち忘れ去り」、「神の計らいを待たず」、「荒れ野で欲望を燃やし」、「砂漠で神を試みた」(13〜14) と、先祖たちの忘却と荒れ野での欲望と反逆を、詩人は畳みかけるようにして述べていきます。先ほど見た7節では3つの動詞によって、先祖の罪が捉えられていました。しかしここ13節では、さらに程度を増して、4つの動詞によって彼らのヤハウェに対する姿勢が露わにされています。それだけではありません。16節(「彼らは宿営でモーセをねたみ」、19節「彼らはホレブで子牛の像を造り……ひれ伏した」、そして22節に至っては、自分たちのために「驚くべき御業を成し遂げられた方を忘れた」との1句が、ダメを押すかのごとくにして投じられています。


忘却は忘却を呼び、背きには背きが重なり、反逆には反逆が重なる。それらはとどまるところを知らない。事態は取り返しがつかないところにまで来ている。この忘却・背き・反逆に対して神はどれほど義なる怒りのうちにあるか。その神がとる行動は1つしかない。詩篇はそのことを「主は彼らを滅ぼそうと言われた」(23)という1句で示しています。人が語っているのではない。神がこの事を語っている。このとき詩人は、戦慄なしにこの言葉を語り得なかったはずです。それはイスラエルの歴史も存在も全面的に滅ぼすという、恐るべき神の審きの言葉だからです。それは、話半分にちゃらんぽらんに聞き流せるような言葉ではなかったはずです。


その時、モーセが立ち上がったと詩人は語ります。

それゆえ、主は彼らを滅ぼそうと言われた。しかし主のお選びになったモーセは 破れ口で主のみ前に立ち、怒りを引きかえして、滅びを免れさせた。 (23協会訳)

この部分には、例えば、出エジプト記中のモーセを描写する以下の様な記事を重ね合わせて読むことができるでしょう。


モーセは主なる神をなだめて言った。「主よ、どうしてご自分の民に向かって怒りを燃やされるのですか。あなたが大いなる御力と強い御手をもってエジプトの国から導き出された民ではありませんか。どうしてエジプト人に、『あの神は、悪意をもって彼らを山で殺し、地上から滅ぼし尽くすために導き出した」と言わせてよいでしょうか。どうか、燃える怒りをやめ、ご自分の民に下す災いを思い直してください。どうかあなたの僕であるアブラハム、イサク、イスラエルを思い起こして下さい。 (出エジプト記32章11〜13)


「破れ口」とは、通常、ある建築物、それは例えば城壁や陣営を囲み守る防塁壁の1角に生じた穴ないし破れの事であって、それがどんなに小さな ほころ綻びであっても、放置するならばそこを突破口にして城壁や防塁壁の全面崩壊をもたらす、危機の凝集点を意味します。しかしこの詩篇が語る「破れ口」とは、建物に生じる穴や破れでない事は明らかです。否、この詩篇が語る「破れ口」とは、歴史の「破れ口」、すなわちそれを放置すれば、その歴史自体が取り返しのつかない神の怒り=破局に襲われる、その結果その歴史のなかで生きるものたちが全面的に滅ぼされていく、そのような全面的な滅びへと通じている危機の恐るべき開口部だと言わねばなりません。詩人は、自らの民の歴史を、栄光に満ちた歴史でもなければ、神に選ばれた民の誇らしい歴史でもない、それとはむしろ正反対に、破れ口がぱっくりと開いてしまっている歴史なのだと受けとめています。そのように受けとめているのでなければ、このような比喩をあえてここで用いたりはしないでしょう。この1句のうちに、この詩人の自らの共同体の歴史に向き合う姿勢の最深層が現れています。


ところで、歴史の破れ口は、いつの日か消え去ってくれるのでしょうか。痛みをもって、決してそうではないと言わねばなりません。なぜならわれわれ1人1人が破れに満ちている以上、そしてそのわれわれが歴史のなかで様々に立ち回る以上、そこに繰り返し深刻な破れ口が穿たれるのは避けがたい事だからです。それだからこそ、歴史の危機の破れ口には、第2、第3のモーセが出てこなければ、その破れ口は最終的には全面的に決壊するしかない。詩人はそのようにイスラエルの歴史を見据えています。


10日ほど前のことになりますが、新聞の4面にごく小さく報じられていた記事がふと目に留まりました。それは「関東大震災での朝鮮人らの虐殺をめぐる公文書の扱い」についての参院災害対策特別委員会での質疑内容を小さく伝えるものでした。その件に関して、防衛省や外務省などの担当者が、各省庁に保管されている記録資料が公文書管理法上の「特定歴史公文書」にあたると認めたというものでありました。しかしその短い記事の最後には、特別委員会で省庁の担当者、すなわち行政の担当者が「朝鮮人ら」の虐殺に関わる記録資料が保管されているということを認めた、しかもそれを「公文書」として認めたにもかかわらず、その上部機関である政府当局は意図的にそれを無視して、関東大震災時にこの国が犯した歴史的残虐行為に関して、なおも「政府内で事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」という破綻しきった見解を繰り返し述べているということが伝えられていました(2023年11月18日朝日新聞)。


今年の9月1日は、関東大震災から100年目の節目を迎えた時でありました。しかし関東大震災発生直後、具体的には翌日の午後4時には閣議未決のまま「戒厳令」が発布されました。それは震災後の混乱の中にあった日本社会のなかに、極度の緊張感を増し加えるものでした。その結果官民は一体となって仮想の敵を仕立て上げ、「治安維持」の旗印のもとに、その仮想の敵への妄想的警戒感を煽り立てていきました。その意図的に作り出された雰囲気のなかで、朝鮮人を「暴徒」に仕立て上げ、それを「討伐」するという名目で、軍、官憲、自警団による大々的な虐殺が行われた事が、民間の研究者たちの地を掘り起こすような地道な調査研究によって、1つ1つ明らかにされてきました。それによれば、現時点において、6千人以上の朝鮮人の方々、750人の中国人の方々、さらには反政府分子ないし朝鮮人と見なされた日本人の方々が むこ無辜の犠牲となった事が、判明しています。しかしこの国の政府は、先の記事にあったように、自らが惹き起こし自らが行った事、国家が深く関与した虐殺の歴史に対して、責任をもって調査・究明をすること一切なく、またこれらの市民による草の根からの調査・報告の積み上げをことごとく黙殺し、他の問題の場合同様、1貫してこの問題を無きものにする道を100年にわたって歩んできました。それは、歴史の抹消を目論む歩みに他なりません。ここに口を開けている闇、それこそわれわれがこの国この民族のなかで経験している歴史の破れ口の1つでなくて何でありましょうか。


そうしたなかで100年経った今も、その犠牲者たちの子孫である朝鮮人をターゲットにしたヘイトスピーチは、現在も川崎を中心に日本各地で機会を見つけては噴出し続けています。また私の知る限りの事ですが東京JR赤羽駅で、また今年の夏、四国のJR松山駅で、それぞれ「朝鮮人コロセ」という落書きが発見されています。その2つの駅のある地域には、それぞれ朝鮮学校があり、電車通学する生徒たちをはじめ彼ら在日朝鮮人の生徒たち、その保護者達にとって、この「落書き」は、口に出すこともできないほどの恐怖と不安のうちに彼らを追い詰め、彼らに憑りつき、若い魂を今このとき苦しみと委縮のどん底に突き落とすものとなっています。痛みと憤りなしには聞くことのできない、「われわれの破れ口」の現実です。


この国に生きるわれわれにとって、この詩篇が伝える「破れ口」は、聖書の中だけのお話しでは決してありません。いやむしろこの物語は、われわれに「あなたがたが面している破れ口にあなたがたは気づいているのか」と厳しく問いかけてくるものとなっています。その問いかけをなす詩人こそ、モーセのあとに従って、自ら第2の「破れ口に立つ者」となる道を見据えているように私には感じられてなりません。しかし他方、この「破れ口に立つ」という事は、モーセやこの詩人ならぬわれわれ常人に果たして可能なことなのでしょうか。その問いに確信をもって答えることのできる者は1人もいません。しかしこの詩篇は、そもそもそのような問いそのものからも、われわれを解き放とうとしています。自分を見るな、破れ口に立つ者の前に立っている御方をこそ見よ。その御方の御顔を求めよ(4)。その御方の前に立て、と。


詩人はその御方の慈しみを全身で受けとっていました。その消息を、われわれはすでに本詩篇冒頭で見ました。詩人は、そのヤハウェの大いなる慈しみから眼を逸らさぬよう、深い注意、深い集中のうちに生きています。その彼にとって、自らと祖先とを串刺しにしている罪責をうやむやにするという事は、このヤハウェの恵みを虚しくする事に他なりませんでした。詩人は、この事の虚しさを深く知っています。そのなかから、先祖の罪に徹底的に向き合おうとしています。ヤハウェの慈しみを深く味わい知った者。その者が歴史の破れ口を見据えています。


ここで詩人は、モーセという歴史的人格が「主の前で破れ口に立つ」という1つのビジョンを示されています。そのビジョンは、さらにわれわれ1人1人に対しても、それぞれにこの歴史の破れ口への感覚を罪責の告白とともに研ぎ澄ませ、そしてその破れ口にたとえよろよろとでもよい、杖をつきながらでもよい、肩を支えられながらでもよい、自らに可能な仕方で立っていくという新たなビジョンを生み出すものとなっています。本詩篇中において、われわれはそのビジョンからの呼びかけを聞いています。


しかし「破れ口に立つ」ことそれだけがここで英雄的に求められているのではありません。「破れ口に立つ」事は「主の前に」立つ事だと詩人は歌います。「主の前に」とは、言い換えれば「祈りつつ」という事に他なりますまい。歴史の破れ口に立つとは、この主の前での祈りと深く繋がっている。主への祈りあるところ、そこには「歴史の破れ口」に立つ者が1人、また1人と、少数者として必ずやその破れ口に立つ。この詩人の告白こそ、この詩篇を身読する者すべてに開かれている約束であり、確信であり、この破局の時代に生きるわれわれに与えられている他のどこでも聞き得ない慰めです。歴史の破れ口に立って、そこに凝集する神の怒りをさえ1身を投じて押し戻すというビジョンの根底にある祈り。すなわち主への祈りに支えられた不屈のビジョン。そのようなビジョンに心を集めつつ、歴史の破れ口に鈍感極まりない自分の罪責を痛切に告白しつつ、その破れ口の闇のなかで恐怖に震えている若者たちを祈りおぼえ、この闇に対峙していく歩みへと導かれていきたいとの祈り、その祈りを日々に与えられたいと強く願うものです。


最後に、初めに司会者にお読み頂いたロマ書を今1度読んで終わりたいと思います。

神の慈愛と峻厳とを見よ。神の峻厳は倒れた者たちに向けられ、神の慈愛は、もしあなたがその慈愛にとどまっているなら、あなたに向けられる。(ロマ書11)

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