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われ信ず信なき我を助け給え 山本 精一【2023/11/12】

マルコによる福音書 第15章21〜24節

今朝は、ただいま司会者にお読み頂いた箇所を中心にして、しかしテクストとしては、その前段をなす9章14節にまで遡って、そこから見ていきたいと思います。その箇所の並行記事は、マタイによる福音書17章14〜20節、ルカによる福音書9章37〜43a節にありますが、何れもマルコの記述よりも内容的には短縮されたものとなっています。それらと比較すると、マルコの書き方が、かなり詳細なものである事が分かります。


ところで、前回私は、基督教独立学園在職中に出会った1人の篤農家が発した根源的な問いかけ「君たちにとって本当の豊かさとは何か」を想起しつつ、マタイによる福音書6章のイエスの山上の垂訓中にある、「今日1日の苦労は今日1日にて足れり」というイエスの言葉へと心を向けていきました。その際、先ず考えさせられた事は、現代のわれわれの生というものが、ことごとく「明日への思いわずらい」に、しかもこの時代特有の仕方で飲み込まれているという事でありました。そのようなわれわれに対して、イエスのこの言葉は、この時代の趨勢を突き破って、深く晴朗な響きを伴って迫ってくるものでありました。しかし、そのイエスの言葉は、決してそれだけがここにぽつんと記されている訳ではありませんでした。それは、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」という直前のイエスの言葉と深く連携して、われわれに語りかけてくるものでありました。かくして、「今日1日の苦労は今日1日にて足れり」との言葉のうちには、この「何よりもまず、神の国と神の義を求めよ」という言葉が重なり響いています。こうして、この「今日1日の苦労は今日1日にて足れり」という言葉の深く晴朗な響きとは、ひとえにその「何よりもまず、神の国と神の義を求めよ」という、神への信へとわれわれを追いやる、イエスの徹底した呼びかけとシンクロしている響きなのだという事に、深く心を留めておきたいと思います。


しかしわれわれは、そのようなイエスの言葉というものに現にどのように向き合っているのでしょうか。福音書を読む者は、1貫して、イエスの信への呼びかけに出会います。そのとき、その呼びかけを前にして、われわれは一体どのようなあり方をとっているのでしょうか。あるいはとろうとしているのでありましょうか。今朝の箇所には、その呼びかけに直面した1人の人物の有様が、マルコ独特の筆致で極めて印象深く記されています。それはまた、マルコ福音書のテクストの枠を蹴破って、われわれ自身のあり方を深く問うてくるものとなっています。テクスト本文に入ります。


14節から16節では、先ずその場の全体的な状況についての導入的な説明がなされています。14節冒頭には「1同が他の弟子たちのところに来てみると」と記されています。しかしそれは、原文に相当の解釈を施したものです。ここを原文のままに訳すならば、「そして弟子たちのもとに来てみると」となります。しかしそれでは「誰が」きているのかという事を始めとして、あまりにも省略がなされていて読みづらいという事なのでありましょう、新共同訳はその直前からの話の流れを踏まえて、イエスの変貌に立ち会うべくイエスの後に随いて「高い山」に登っていた「ペトロ、ヤコブ、ヨハネ」(3)の3人の弟子たちを伴って、イエスがその山から下りてきた。そして、残りの他の弟子たちのもとにやって来たという風にここを解しています。協会訳も大体その線で捉えています。しかしその場に居たのは、単に残りの「他の弟子たち」だけではありませんでした。この出だしの状況説明で注意すべきは、その直後に出てくる「彼らは大勢の群衆に取り囲まれて、律法学者たちと議論していた」というところです。ここでは、イエスに対して疑念と反感と敵意を募らせていた律法学者たちが、当のイエスの不在の場で、その場に残っていたイエスの弟子たちをつかまえて、彼らと「議論」をしていたという情景描写がなされています。


しかし師であるイエスのいない場面での律法学者たちとのそのような議論とは、ついこの間まで湖で魚を相手に漁をしていた人たちをはじめとして、ガリラヤ出身の貧しく素朴な弟子たちにとっては、明らかに初めから分の悪いものであったはずです。何よりもその場には、頼りとする師であるイエスが居ないのですから。その主なき弟子たちに対して、社会的な地位も高く、学識と権威を具えた律法学者たちが議論を仕掛けている。もうそれだけで、ここでの「議論」というものが、対等な立場でなされていたものではなく、初めからいびつな優劣の力関係のなかに置かれていたという事が十分に想像されます。そう考えてみると、この「議論」が、律法学者たちの優位のもとに、一方的で穏やかならざる雰囲気のもとに進められていた可能性が相当に高かったとも考えられます。


そのような「議論」が、しかも群衆の目を憚ることもなくあからさまになされていたという事は、この議論がまさしく衆人環視のもとに置かれていたという事を意味します。そのような危うい議論の場へ今ちょうど「彼ら」(14)がやって来たというのです。そうである以上、14節の「弟子たち」という表記の中には、実際にはその場に居合わせていた人々すべて、すなわち律法学者たちと大勢の群衆もまた、当然のことながら含まれていたはずです。こうして、この物語は、イエス不在の場での、この律法学者たちと弟子たちの議論、そしてその議論を固唾を呑んで見守る群衆という大きな見取り図のもとで語り始められています。

ところが次の15節には、1読してみてもよく分からない事が書いてあります。群衆は皆、イエスを見つけて非常に驚き、駆け寄って来て挨拶をした。


この描写は、マタイにもルカにも出てきません。マルコに特有の描写の1つです。「驚き」というのは、マルコによる福音書のこの描写は、マタイにもルカにも出てきません。マルコに特有の描写の1つです。「驚き」というのは、マルコによる福音書のなかでは、極めて重要な意味合いをもって多用されている言葉です。それがこの物語の出だしの部分では、そのときの群衆の様子を言い表すために用いられています。しかも単なる「驚き」ではなくて「非常に驚きエクタンベオマイ」と、驚きの度合いが強調されています。とはいえ、群衆がこのときなぜそれほどまでにも驚いたのか、その説明は一切ありません。唐突とも言える表現です。肝をつぶすほどの驚きをこのとき群衆は示したという事実のみが、ぶっきらぼうに記されています。群衆はイエスを見つけて、慌てふためいたという事のみが記述されていることになります。しかし、その事は裏を返せば、群衆たちが、まさかこのような場にイエスその人が現れてくるはずはないだろうと思い込んでいた、その思い込みの強さを暗示しているとも言えるでしょう。あなたに関してこんなに不穏で危うい空気が流れている議論の場に、イエス様、よりによってどうして出てこられたのですか、何も今でなくともよいのにと言わんばかりの群衆の狼狽ぶりです。そしてそれに続けて、群衆は、イエスがその場の中に入ってくるよりも先に、自分たちの方からイエスに「駆け寄って」、そして「挨拶をした」と言うのです。それらの所作は、このとき、イエスに対して、群衆が少なくとも、敵意ではなくて好意を、反感ではなくて共感をもっていた事を暗示しています。こうして、イエスと群衆とのやり取りが前面に出てきます。それと反比例するかのように、弟子たちの姿は、このあと28節になるまでこの物語の後景に退いていきます。


このとき、この物語のなかで初めて、イエスが口を開きます。この人々に向かってです。それは、彼らへの問いかけでありました。


「何を議論しているのか。」 (16)この1文も直訳をしておきます。「あなたがたは彼らと何を議論しているのか」。この場での議論の当事者は律法学者たちと弟子たちですから、このイエスの問いにある「あなたがた」とは、話の筋に従えば、弟子たちの可能性がまず考えられます。しかしそのイエスの問いかけに対してじっさいに声を上げて応じてきたのは、当の弟子たちではありませんでした。群衆の中にいた1人の人物、「霊に取りつかれて、ものが言えない」(17)息子の父親でありました。しかしこの父親は、そのイエスの問いに対しては直接には答えていません。その代りに、重い病に苦しんでいる自分の息子を助けてほしいとの1念を胸底に抱えながら、その息子のことについて、群衆の中からイエスに向かって声を上げています。


その父親は、イエスに先ず「先生」と呼びかけています。そして「息子をおそばに連れて参りました」と続けています。しかし原文では「あなたのところに」となっています。それは、「おそば」などといった婉曲な言い方ではなく、もっと直截にイエスその人に向かっていく言い方です。「先生、息子をあなたのところに連れて参りました」。父親は、すでに悪霊を追い出すわざを行っていたイエスの噂を聞いていたのでしょう。そのイエスをひたすら目当てにしてこの場に出てきていたという事が、この1語から伝わってきます。かくてイエスに遂に出会った父親は、直ちにその息子がどんな状態なのかという事の説明を始めます(17〜18)。そこで彼は、4つの症候を具体的に挙げています。「所かまわず地面に引き倒され」、「口から泡をふき」、「歯ぎしりをし」、「体をこわばらせる」。これら4つの症候は、現代の医学用語でいえば重い 癲癇(てんかん)の症状という事になるのでしょうが、古代パレスティナの人々の間で優勢であった考えによれば、それは霊に取りつかれたためのものであると広く信じられていました。父親はこの霊を追い出してほしくてここにやって来ていたのです。しかしそこには弟子たちだけがいて、肝腎のイエスはいませんでした。そこで彼は、霊を追い出す事を弟子たちに「申した=言った エイパ」(18)とマルコは記しています。


ここでマルコは、「言った」という言葉を用いています。しかしその言葉遣いは、この場面では少し奇妙な感じがいたします。もの言えぬ霊を追い出すという尋常ならざる悪霊祓いの力業は、通常の場合「願い求める」べきことであるはずなのに、ここではそれがごく一般的な「言った」という平板な1語で片づけられているからです。何とも素っ気ない物言いなのです。それゆえこの書き方には、このとき父親が弟子たちに対して、ある種の距離を置いている様が反映されているように感じられます。その意味で、ここでマルコが敢えて「言った」という語を用いている事のうちには、この父親の弟子たちに対する、当てが外れたとの落胆含みの姿勢、役不足と言わんばかりの半信半疑の姿勢が示唆されているようにも感じられます。しかも父親はそれに追い打ちをかけるようにして、「あなたの」弟子たちはその事ができなかったのだとイエスに面と向かって語っています。すなわち「あなたの」弟子たちにはその力がなかったと言っているのです。それは、かつて弟子召命の際、彼らにその権能を与えた当のイエス(315「悪霊を追い出す権能を持たせる」)に向かって、そうであるのにもかかわらずあなたの弟子たちはできなかったのだと言挙げしている事になります。ここで「お弟子たち」と訳されているところを、原文通り「あなたの弟子たち」と読んだ上で、この場での「あなたの」という1語に籠められた含蓄に思いをいたすならば、マルコにそこまでの意図があったかどうかは判りませんが、この「あなたの」という1語のうちに、その師であるイエスへの疑いや とが咎めだての心の波立ちを読み取ることも、十分に可能なのではないでしょうか。何れにせよ、父親のこの初めの発言のうちには、イエスに対する願い求めの言葉はありません。願い求めるよりも先に、彼は、弟子たちに対する失望・落胆を口にしています。そこに、このときの父親の失望・落胆のほどがよく示されています。

この言葉を受けて、今度はイエスが「答え」ます(19)。ここも原文では「彼らに答えた」となっていて、このイエスの答えの言葉が、父親だけに向けられていたものではなかったという事が仄めかされています。そして驚くべき言葉が示されます。


「なんと信仰のない時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。」


このイエスの言葉には、何かぎょっとするような、およそ尋常ならざるトーンがあります。これは、直接的には、この父親とのやり取りに触発されての言葉ですが、しかしここでのイエスのこの発語は、このテクストのなかの場面を突き破って、「時代」「世界「人々」そのものに向かってのものとなっています。冒頭の「ああ!」という感嘆詞は、この時代そのもの、この世の有様そのものに向かっての、イエスの烈しい悲嘆の呻きが、腸を震わす1語となって発せられたものに他なりません。「なんと不信なる時代なのか」。「時は満ちた。神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」(115)


との全身全霊をあげての信への呼びかけによって開始されたイエスの宣教。その信のうちに地上の生を歩み抜いてきた御方が今ここで発している呻き。


この父親は弟子たちに失望・落胆していたと先に申しました。それは彼の味わってきた人生の深い苦しみを思うならば、十分に理解・共感できることです。しかしここでのイエスの地を震わすような激しい呻きは、この父親の失意・不信に激発されながらも、しかしそれのみならず、世の一切の不信の現実に向かって発せられている呻きだと言わねばなりません。この地上には信の欠片もない。その事実へのイエスの悲痛な驚きと呻きが露わにされています。このイエスの呻きは、今またウクライナの地で、パレスティナの地で、そしてこの敵対と憎悪と暴虐と底なしの不信とによって切り裂かれたわれわれの時代の破局、われわれの世界の破局に向かって、烈しく発せられているものに他なりません。「ああ、なんという不信仰な時代であろう。」 (19協会訳)


この箇所の少し前、8章の最後には、マルコ福音書における最初のイエスの受難予告の記事が記されています(831〜32)。イエスのここでの深い呻きは、まさしくご自分の十字架の死を見据えているという事と深く関連しています。それを示すのが、9章で今見た言葉のすぐ後に続く、「いつまで」という言葉で始まるイエスの2つの語りです(「いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたを耐え忍ばねばならないのか」(19b、19c)後半改訳)。


このイエスの「ああ!」という断腸の呻きの前に、われわれの不信、何よりもわが不信が、恐るべきことに、一切の覆いを剥ぎ取られて、全面的に露わにされています。 むこ無辜の市民が冷然と虐殺され続ける時代を慨嘆しつつ漂流しているわれわれ、そのわれわれに向かってイエスの「ああ!」が、この父親、弟子たち、群衆、さらには律法学者たちを超えて、他ならぬわれわれ自身、われわれの時代に向かっていま発せられているのだという事を思うとき、このイエスの「ああ!」に、震え慄かずにはいられません。


その「ああ!」のただなかから、しかしイエスは、驚くべき新たな呼びかけの言葉を発します。


「その子をわたしのところに連れてきなさい。」 (19d)


これはイエスがここで気分を一新して、この父親の求めに応じ始めたという事などでは決してありません。むしろこれは、われわれの不信への断腸の呻きのうちで、しかしそれにもかかわらず、この父親とその息子、さらに言及はされてはいませんがその母、その家庭の苦しみへとイエスが敢えて身を延ばし始められたという事を告げている1文なのだと思います。この呻きとともに発せられた「連れてきなさい」を、人々は恐らく「驚き」をもって記憶していったのではないでしょうか。


息子は遂にイエスのもとに連れて来られます。その途端、彼は激しい発作を起こします(20)。その状態に直面して、イエスは、この苦しみが息子を襲うようになってどれくらい経ったのかと尋ねます。それは、この病の苦しみを負った者の歴史を聞く言葉です。この病のためにこの若者はどれほど苦しんできたのか。そしてその若者の苦しみのために、その家族もまたどれほど苦しんできたのか。その事を聞こうとする言葉です。この病からの一時も早い癒しを、具体的に喉から手が出るほど欲している父親に対して、しかしここでイエスは、すぐにその事にとりかかろうとはせずに、むしろこの苦しみの歴史に先ず耳を傾けていこうとしています。


このイエスの問いかけに対して、父親はただ1言「幼い時から」(21)とのみ答えます。しかしそれに直ちに続けて、「霊は息子を殺そうとして」(22)という1句とともに、その息子の最も危機に瀕した状況のことが、イエスに向かって語り明かされています。それはそのまま、この家族の味わってきた言い尽くし難い苦しみの歳月、歴史に他なりません。その家族の苦しい秘密が、今イエスに向かって、否イエスだからこそ、その家族の1員から語り始められています。そのような語り明かしは、相手を信頼することがなければ、決して起きる事ではありません。父親のなかに、イエスに対する漠然たる信頼が芽生え始めています。しかし他方彼のなかには、弟子たちの無力に端を発するイエスへの漠然たる不信も吹っ切れていなかったはずです。このように父親は、イエスに対する漠然たる信と漠然たる不信との間を揺れ動いています。


先に「あなたの弟子たちはできなかった」と語った時、父親は、失意とない交ぜになった不信のうちにありました。しかしその不信は、何に対する不信であったのでしょうか。それはどこまでも、自分が願い求めていることを実現させることが「できない」という事に対する不信でありました。だからこそ、弟子たちが息子を癒せなかったという事は、彼にとって深刻な不信を惹き起こしました。自分が願っている事を実現「できる」ものは信じる事ができる。実現「できない」者は信じる事ができない。わが願いを実現させる事が「できる」か「できない」か、それが父親の信と不信とを決定するものとなっています。


だからこそ彼は、ここで、「もしも何かおできになるのなら」 (23)


という言葉を、真っ先に発しています。そこに彼の関心は凝固しています。彼が経験してきた苦しみは、こうして彼の信を、わが願いを実現「できる」か否かという1点に縛りつけるものとなっています。


しかしここで父親は、直ちに続けて、驚くべきことに、これまでおよそ聞くことのなかった言葉を発しています。「わたしどもを憐れんでお助けください。」

そこでは彼は、イエスに向かって先ず何よりも「憐れみと助け」を求めています。そして、彼は「この息子を」とは言わずに、この息子とともに「われらを」と願っています。イエスの憐れみと助けとを、息子とともに何よりも彼自身が必要としている、そしてこの家庭全体が必要としているという告白の声を上げています(「わたしどもを憐れんでお助けください」)。自分自身がイエスの前に立つ者となっていく。新しいことが父親のうちに芽生え始めています。


このとき父親のうちでは、相変わらず「おのが願いを実現できる」事を求め続けるあり方と、「イエスの憐れみと助け」を求めるあり方、その2つのあり方が拮抗しつつ激しくぶつかり合っています。イエスと出会った彼は、こうしてこれまでの求めと、イエスによって与えられた新たな求めとの間で、揺れに揺れています。


この父親の言葉に対して、イエスはすぐさま、そこで最も問題とすべき事、その意味で父親の問題の核心に迫っていきます。イエスがそこで問題としたのは、まさしく、「もしできるならば」(22)という言葉でありました。この言葉を今1度反復したうえで、イエスは驚くべき言葉を語ります。


「信じる者には何でもできる。」 (23)


この言葉の途方もなさにたじろがぬ人はいないでありましょう。これは本質的に言って、われわれが語り得る言葉ではありません。イエスだからこそ語り得た言葉です。しかしだからと言って、この言葉をイエスだけが語り得る特権的な言葉だと決めつけ、われわれ自身にはおよそ無関係なことだとこの言葉を敬して遠ざけるとすれば、それは必要以上にこの言葉を祀り上げた読み方だと言わねばなりません。なぜなら、イエス御自身、この言葉を独占しようとは決してしておられないからです。むしろこの父親と、そしてわれわれと頒かち合うべく、ここでイエスはこの言葉を、父親に向かって、そしてわれわれに向かって、ひたすらに呼びかけておられるからです。


ここでとりわけ心しておかねばならないことがあります。それは、このイエスの言葉が、直前の父親の言葉とは、逆の順序になっているという事です。父親は「もしできるならば」と「できること」という条件を真っ先に挙げていました。しかしそれに対して、ここでのイエスの応答は、「信じる者には」と、何よりもまず信じる事への徹底的な集中と強調がなされています。「悔い改めて福音を信ぜよ」と語って宣教を開始したイエスは、受難予告の後の9章のこの箇所での父親との対話において、あらためて「信」を強調しているのです。それすなわち、「信」という冒険への全面的な招きと勧めと促しです。

すると「直ちに父親は叫び」(24)ます。


「われ信ず。信なきわれを助け給へ」。


ここには、もはや「もしできるならば」という言葉はありません。これまでイエスに対する条件付きの信(「もしできるなら」) を語らずにはいられなかった父親は、ここでその縛りから解き放たれて、あの「もしできるならば」という言葉を取っ払っています。そしてこの「われ信ず。信なきわれを助け給へ」全体が、彼の新たな願い=祈りとなって叫ばれています。「わが願いを実現してくれる事ができるのか否か」を絶えず問題にしてこざるを得なかった彼が、今やそれを取っ払って、「信」そのものへと集中しています。


その歩みはさらに徹底を見ます。彼は「信なきわれを助け給へ」と続けて叫びます。この叫びは、その直前の「われ信ず」とは、表面的には矛盾した言葉です。しかしここにこそ、彼の新しい祈り願いが産声を上げています。その新しい祈り願いとは、「われ信ず」と告白する自分が、しかし事実として不信の生を生きているという自己自身の現実の破れを、まるごと告白することのできる御方、まるごと告白してよい御方に出会ったという事から生まれてくる祈り願いです。信じられないという私の根本的不信の事実に逃れ難く立ちながら、しかしそこですべてを投げ出し立ち止まってしまうのではなくて、その不信の事実をまるごと引っ提げたまま助けと憐れみとを求めていくことのできる御方に出会っているという事。イエスと出会った彼は、その事を知り信ずる者とされて、今叫んでいます。わが不信を憐れみ助け給え、と。その時、この不信の告白がそのままにして、彼の新たな信の告白となっています。


われわれの不信、そしてわれわれの時代の不信。そのなかで「ああ」という深い呻きをもって歩まれるイエス。そのイエスが呻きつつ発する信への呼びかけ。それは、われわれの内に、自らの信と不信とをまるごと一体イエスに向かって差し出していく、新たな信のありようを生み出すものとなっています。マルコ福音書はここで、この父親の叫びを通して、その信のありようを伝えています。それは新たな信であるとともに、それがそのまま新たな悔い改めとなっています。「悔い改めて福音を信ぜよ」。


不信と憎悪の種が世界中にばらまかれているなかで、「われ信ず、信なき我を助け給へ」という恩寵の祈りを頒かち与えられているというこの一事に、キリストの執り成しのもと、破れる度に新たに立ち返らねばなりません。そのとき、このような恩寵を知らされたわれわれは、そして私は、この恩寵に与りつつ、この不信に呻かざるを得ない時代の歴史的現実の中で一体どのように歩んでいくのか。あらためて今このとき問われているのだという事を深くおぼえたいと思います。

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